昨日、スマホに留守番電話を確認。メッセージの主は入管収容所「東日本入国管理センター」(茨城県牛久市)の被収容者から。
「私は牛久入管のシャーラムです。お願いします。取材に来てください」
私が牛久入管に行けるのはせいぜい月に1度か2度。そして、私の場合は取材申請をして面接に入るので、その許可に時間がとられるため、1日にせいぜい4人にしか会えない。それでも1年で15回としても延べ60人には会っていることになる。
イラン人のシャーラムさんは牛久入管で5月から始まった「生きてここを出るか、死ぬか」の死を賭した本気のハンストを最初に始めた人。
7月に仮放免されたが、その期間はわずかに2週間。それでもそれが更新されるのならまだいいが、2週間後、更新は不許可となり、その日のうちに牛久入管に戻された。
この事実は、牛久入管の被収容者をビビらせるどころか逆に怒らせ、新たなハンスト者も生み出した。
で、シャーラムさんは再びハンストに入った。
すると、入管はシャーラムさんに再び仮放免を約束した。
だが、8月下旬、私がシャーラムさんに面会した時、シャーラムさんはこう言った。
「2度目の仮放免は2週間前に約束はされました。でも、未だに、それがいつで、今度はどれくらいの期間の仮放免か全然教えてくれないんです。仮放免を約束された時、入管は『ハンスト中止』を条件にして、私もそれに従いましたが、もう少し待って、仮放免の時期と期間が伝えられなければウソの可能性もあるので、3度目のハンストをやります」
果たして、その数日後、シャーラムさんは3度目のハンストに入った。
あれから1カ月弱立つ。そして昨日の電話。気になる。行かなければ。
でも、今、他の用事で行くことができない。最短で来週の火曜日か木曜日か。
それにしても、入管問題を取材して、まだ1年ちょっとの私がなんでこんなに頼られるんだ。今、月に数回は、収容所内で私の電話番号が共有され、私のスマホに被収容者から電話が入る。誰かほかに取材しないのか。と周りを見たら、確かにこの問題を継続取材しているジャーナリストは本当に少ない。
また23日には入管関連の問題について、短い時間ながら講演もしなければならない。初めは固辞しようと思ったが、ジャーナリストの少なさを考えると私のような者でも引き受けざるを得ない。
リニアのことだけでも、未処理の資料が高さ数十センチに積まれていて追いつかないのに、入管問題も中途半端にできなくなってしまった。ただここで逃げちゃいけない。悩む前にやるしかない。
ただ、望むらくはこの問題をやりたいライターはいないかということだ。
本気でやるならアシストする。
↓ ブログランキングへの応援クリックをお願いいたします。

↓ 拍手もお願いいたします
- 関連記事
-
スポンサーサイト