取材しても、記事にできる情報は1割未満。しかし捨てた9割にも、伝えられるべきものがあります。ボツになった企画も数知れず。そんなネタを紹介します。なお、本ブログの文章と写真の無断転載はお断りします。ご利用希望者合はご一報下さい。
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樫田秀樹

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●話題にもならない「霞ヶ丘アパート」
 
 最近、舛添要一・東京都知事が国立競技場の建て替えを見直すとの報道がありました。

 これは、国立競技場は本当に解体していいのか? との関係者からの疑問が多いからです。

 ただし、その論点は、新・国立競技場は建設費がかかりすぎる、景観を損ねるといったことに集中していて、国立競技場のすぐ近くにある「霞ヶ丘アパート」の高齢者たちが立ち退かされる現状に異を唱える人はほとんどいないと言っても過言ではありません。
 
 以前もこのブログで少しだけ書きましたが、霞ヶ丘アパートは前回の東京オリンピックのために立ち退かされた人たちのために用意された10棟から成るアパートです。ここが終の棲家と思う70代、80代、90代の高齢者が200人前後暮らしています。でも、新国立競技場の芝生公園になるとかで、2年後をめどに解体予定で、昨年から住民がぼつぼつと引っ越しています。

 しかし、その引っ越し先は、都が用意する巨大都営アパート。近所付き合いも何もない。ある人は引っ越した直後から「寂しい」とつぶやいています。

 だからこそ、なかには「2度も立ち退かされてたまるか。絶対にここを動かない!」と決めている人もいるのです。
 一つのコミュニティが壊される。舛添都知事は新・競技場の見直しも表明しているが、是非、アパート住民にも関心を向けてほしい。

 以下の記事は、月刊「望星」2014年1月号と2月号に連載した記事に若干の加筆をしたものです。また、半永久的に残るメディアという特性も鑑み、一般住民の写真は顔をアップしたものの使用は避けました。


●突然の立ち退き通知

「ここは僕の終の棲家。動くつもりはまったくありません」
 2015年には全十棟が取り壊され、全住民の移転が決められた都営「霞ヶ丘アパート」に住む大嶽光春(88)はただ憤る。
 退去通知は突然だった。
2012年8月26日の夜、東京都都市整備局が霞ヶ丘アパートの住民に呼びかけ、近くの「日本青年館」に集まってもらい、「国立競技場の建て替えに伴う移転に関する説明会」と題した、老朽化しているアパートの今後についての説明会を行った。
 だが「説明」ではなかった。単なる「結果の通知」だった。
 2019年にラグビーのワールドカップが近くの国立競技場で開催される。それに合わせて国立競技場を、今の5万4000人収容から8万人収容の施設へと拡張する。そのため、国立競技場に隣接する明治公園はなくなり、ホテルや大ホール、会議場などを備える複合施設「日本青年館」も移転する。国立競技場から霞ヶ丘アパートまでは百メートル以上も離れているが、競技場を臨む芝生の公園になる。工事の始まる3年後の2015年までには立ち退いていただきますと都職員は告げたのだ。
 これに参加していた80代後半の女性は「ええ!」とただ驚いた。
 この歳でどこに行けっていうの? 都職員の「説明」が終わると、数人の住民から怒号がとんだ。「ふざけるな!」
 説明会は、21時に終了したが、納得できない数人の住民は残り、23時まで都職員に「そんなひどい話はない」と粘ったが、都職員は「ご理解をお願いいたします」と言うだけだった。
 そして2012年9月。日本は2020年東京オリンピックの誘致に成功し、新国立競技場はそのメインスタジアムになることが決まった。
 多くの住民が今こう思っているーー「私たちは、オリンピックのためにこのアパートに移り、オリンピックのためにこのアパートから出て行くのか」

 残る人、出ていった人、悩む人。いろいろな住民に話を聞いてみた。

●50年前の立ち退き
 
 1964年開催の東京オリンピック。
 その開催に合わせた道路拡張や周辺整備等の区画整理のために立ち退かされた人々がいた。今の明治公園である場所などに住んでいた人たちだ。だが、東京都はそれら都民のために新しいアパートを用意した。それが霞ヶ丘アパート(全10棟。300戸)だ。
 大嶽は、オリンピック前、国立競技場近くの四軒長屋に住んでいた。
「僕もそうだけど、戦争の引揚者のために用意された長屋でした。僕は終戦直前に陸軍に入り、海を渡ることなく20歳で終戦を迎えました。終戦後は山口県にいましたが、仕事を求めて東京に来ましてね、落ち着いたのが四軒長屋だったんです。水道は長屋の真ん中にあって、それこそ、味噌を貸してくれが当たり前のいい生活でした。それが、オリンピックのために区画整理が始まるからと、立ち退かされることになったんです。そして、オリンピック前年に入ったのがここ。当時は、時代の最先端をいくようなアパートに見えましてね。みんなで、『いやあ、こんないいところに住めるとは』って喜びましたよ」

大嶽三春さん ← 自宅でくつろぐ大嶽さん(クリックで拡大します)


 鉄筋コンクリートの3階建てから5階建てがズラリと並ぶその光景は、当時、オリンピック観戦に訪れる人々が見ても遜色がないものだったに違いない。
 私も取材前までは、まさか、神宮球場や国立競技場といった大施設のすぐ近くにこんな空間があるとは予想もしていなかった。
 ゆったりとした敷地。専用の駐車場がなくとも、車が棟の前に余裕をもって止まっている。各棟の裏側は家庭菜園を楽しめる土地が十分すぎるほどにある。柿の木には熟した実がたわわに実り、道の脇にはフキやミョウガが自生している。

広々とした霞ヶ丘アパート


「1階は別かもしれないけど、僕のように3階くらいに住んでいると風通しが良くてね。いいよ、ここは」
 大嶽はここに移り住む頃から、内装業を生業としていた。5年ほど修行してから小さな会社を立ち上げ、一流の腕をもった職人たちを集め、やれる仕事は何でもやった。飛島建設の下請けで、ソ連や中南米、タイにも行ったことがある。
 どんなに難しい仕事があっても「できない」とは言わず、必ず受けた。それを会社に持ち帰ってから、職人たちとああしよう、こうしようと話し合った。儲かった。月百万円を稼ぐこともざらだった。

 大嶽の部屋の間取りは2DK。そこに、妻と二人の子ども、そして居候の親戚がいた頃は、総勢7人で寝起きしていたから、「台所でも誰かが寝ていた」。だが、十分すぎる収入がありながらも、霞ヶ丘アパートから引っ越すことは一度も考えたことがない。
「一番の理由は、こんないいところはないからです。ここの町会は結成当時からしっかりしていて、みんなからの寄付で立派な神輿を購入して、町会の祭もそれは盛り上がって楽しかった。今は今で、体調が優れなくてあまり外出しないけど、外を歩けば、必ず誰かが『こんにちは』『おはようございます』と声をかけてくれる。50年の付き合いは長いよね」

 1999年、74歳のとき、心臓発作を起こす。バブルも崩壊したあとで、かつてほど稼げなくなっていた。潮時だ。
「これ以上、仕事を続けたら、会社に今ある金もなくなってしまう」
会社を閉じた。自分の会社だったが、職人たちと自分とで、残っていた金を八等分した。だが、その金も底をつき、今は生活保護を受けている。それでも、おしゃれだった大嶽は、働いているときに質のいい靴や服をいくつも買っていたので、散財することはない。金のあった昔も楽しかったが、つつましく暮らす今も楽しい。
「妻は20年前に亡くなり、子どもたちも独立して出ていきました。今は一人暮らしですが、思い出の詰まったこの場所は僕の故郷ですよ。その故郷でただ静かに暮らしたい。それだけで十分なんです」
一つだけ懸念がある。心臓の不整脈があるため、ここ数年で、下から自宅のある3階までの上り下りがしんどくなってきた。外出は週に1度程度。だが、それは大嶽に限ったことではない。


●軽視された建て替え要請

  霞ヶ丘アパートは、竣工直後はほぼ満室だったが、今、入居世帯は、二百世帯前後。
 このうち6割以上が高齢者だ。80代も90代もいる。女性の独居老人が多い。
 この人々にとって、エレベーターのないアパート暮らしは年々きついものになっている。私が会った80代後半の女性は杖をついて歩いていた。
「私の家は4階です。まず2階までゆっくりゆっくり上がるの。そこで一休み。息を整えたら、またゆっくりゆっくりと自宅へ向かいます」
 と、外出がおっくうになると訴えた。
 この状況を町会は指をくわえて見ていたわけではない。

 霞ヶ丘アパートの6号棟の一階部分は「外苑マーケット」という商店街になっている。とはいえ、8店舗のうち、現在でも営業しているのは、井上が運営する食料品店の「井上青果」、そしてタバコ屋の2軒だけだ。
 知人が誰もいない霞ヶ丘アパートを初めて訪れたとき、私は、取材の取っ掛かりが欲しかった。そこで偶然見つけた外苑マーケットに入ると、最初に出会ったのが町会長の井上準一(68)だったのは幸運なことだった。井上は話してくれた。
 霞ヶ丘アパートの住民で組織する「霞ヶ丘町町会」は10年前から、東京都に「同じ場所でエレベーター付きの高層住宅への建て替えをしてほしい」と要請していた

外苑マーケット前 ← 外苑マーケットの入口に立つ井上さん

 霞ヶ丘アパートは、エレベーターがないことに加え、半世紀もたち、外壁を見ただけでも相当の老朽化が進んでいることがうかがい知れる。いずれは解体をしなければならない。だが、ここを故郷として暮らす高齢者が多い以上、導かれる唯一の答は、現在地での、エレベーター付き住宅への建て替えしかない。
 だが「検討しています」以外の明快な回答は都から寄せられたことがない。
 2013年、町会の役員の任期満了に伴い、新しい町会長に井上が就任した。これで3度目か4度目の就任だったが、昨年は、いつものような持ち回りではなく、半ば立候補したと井上は語る。
「建て替えは住民の悲願です。ところが、東京都からははっきりした返答がいつまでたっても寄せられない。そこで私は、もう待ったなしだと、数年以内には建て替えを実現するとの目標をもって会長に就任することにしたんです」(井上)
 しかし、やはり、要望すれども、東京都から明確な回答はない。そして、井上には気になることがあった。
「10年ほど前からですが、東京都は、霞ヶ丘アパートへの新規入居募集を行わなくなったんです。つまり、誰かが亡くなれば、その分だけ空き部屋が増えていきました」


●「立ち退いていただきます」

 東京都は霞ヶ丘アパートの維持をどう考えているのか? そう思っていたところで、懇意にしていた都議会議員から「都に建て替えの方針がないらしいとの情報がある。話し合いをしたほうがいい」との助言が入った。
 井上は東京都都市整備局に建て替え計画についての住民説明会の開催を要望した。それが実現したのが、冒頭にも書いた2012年8月だ。
 百人以上の住民が集まった。少なからぬ住民が、いよいよ建て替えの具体的方針が出るのかとの期待を抱き説明会に臨んだ。
 都職員の説明はその真逆だった。
建て替えの予定はありません。2019年開催のラグビーのワールドカップのために国立競技場を拡張しますが、その敷地が霞ヶ丘アパートにもかかるので、アパートの皆様には立ち退いていただきます。また、このような説明会は今後開催しません
住民にはまさに寝耳に水。
 80代女性は「もうびっくり。今の言葉で言えば『じぇじぇ!』ですよ。この歳で追い出されるなんて考えたこともありません」
 東京都は、同じ新宿区にある三ヶ所の都営住宅に引っ越してもらうことで、住民ができるだけバラバラにならないようにしたいと説明する。だが住民にすれば、三ヶ所に分散されることは地域分断そのものだし、新しい住宅では、隣家に今の知り合いが住むとは限らない。エレベーターを使えることだけが、唯一実現することだ。
 都の説明を聞いて、井上も改めて驚いた。説明会の後、住民の有志が集まり「絶対に撤回させよう」と気持ちを一つにした。


●50年前の最後の立ち退き者
 
 住民が東京都に憤るのは、自分たちが立ち退かされること以前に、何の話し合いもなく「結論」だけをもってこられたからだ。しかも、その結果は確実にコミュニティを壊す。
 前回の立ち退きで霞ヶ丘アパートに入居した住民は多い。だが、なかには入居できない人もいた。その人々は前回も、立ち退きせよとの「結論」だけで塗炭の苦しみを味わった。私はそれをまったく知らなかった。
 それを教えてくれたのは、アパート住民の甚野公平(80歳)。外苑マーケットのタバコ屋の経営者でもある。地元生まれの地元育ちだ。国立競技場に隣接する土地(今の明治公園)で父親がタバコ屋兼洋品店兼雑貨屋を営んでいた。
 甚野は1959年に結婚。翌年に長女が、62年には長男が生まれた。当時、甚野家の周りには百軒くらいの家があり、すべて持ち家だったという。だが、オリンピックの数年前、それら百軒の家に東京都は「立ち退け」と通知した。そんな馬鹿な話があるかと、甚野の妻、保子は、生まれたばかりの娘や息子を背負い、当時は有楽町にあった東京都庁にまで出かけ、「オリンピックのための立ち退き反対!」の声を挙げるデモに幾度と参加した。
「長女に股関節脱臼があって、当時は今と違って、重い石膏製のギプスを装着していたんです。だから背負うと重かったんですが、とにかく必死でデモやりましたよ」
 デモの声が届いたのか、63年、東京都はようやく立ち退き者への補償金の支払いを始めた。だが、その金で店を移転しようとした不動産物件は、手付金を入れたにも関わらず相手側が明け渡さなかったので、甚野は裁判に持ち込んだ。そうしているうちに、百軒あった家々は次々とJR中央線沿いに転居する。移転先の決まらない甚野家だけが、最後の一軒として立ち退きに抵抗したが、目の前ではオリンピックのための道路工事が急ピッチで始まり「尻に火がついた」日々を送った。
 都が補償金を支払う際の条件は「霞ヶ丘アパートには入らないこと」だった。切羽詰ったとき、近くの信濃町に両親が三畳一間のアパートを用意してくれた。
 ここで甚野は「たいへんなのはここからでした」と思い出すように言葉に力を入れた。
 結局、店舗をもてなかった甚野は、早朝に隣の中野区にまで洗車の仕事に出かけ、夕方に帰宅すると、すぐに霞ヶ丘で受注と配達の仕事、そして夜は、1枚1円の封筒の宛名書きの内職に追われた。日本中がオリンピックで沸き立っている最中に、オリンピックのために塗炭の苦しみを味わっていたのだ。
 そんな生活が2年も続いた。若かった甚野も音を上げた。
「ついに、あまりの苦しさに都に相談しました。そして、外苑マーケットの空き店舗を紹介され、アパートにも入居できたんです」
 1965年のことである。

●無視される住民たち

 住んでみると、「温かみ」を感じた。
「私は毎朝八時にはマーケットのシャッターを開けます。すると、私を認識しているスズメたちが50羽くらいが『エサをくれ』と集まってくるんですよ。可愛いですよ。見てください、ここにはフキも自生している。ミョウガもある。誰かが植えた柿の木も今は私が管理しているんですが、熟せば、実を取って近所に配って歩くんです。どれも私には大切な日常です」
 ちょうど柿の季節。甚野は私にも柿を採ってくれた。すると、向こうに見えるベランダから、留守中に柿を配ってもらった住民が甚野にジェスチャーでありがとうを言った。甚野も笑顔を返した。

柿を取る ← 柿を取る甚野さん

フキとミョウガ ← 自生しているフキとミョウガ。誰が採取してもいい。

 この柿の木が切られる。フキもミョウガもなくなる。スズメたちも住処を失う。人の付き合いも消える。甚野は訴える。
「いったい、国立競技場が満杯になるのは年に何回あるでしょうか? 新しい競技場だってそうです。無駄金を使いながら、維持費だってどうするんでしょう。それを私は声を大にして言いたい。また、東京都はただの一度だって、『みなさんの気持ちをお伺いしたい』『ご高齢のみなさんが不安のないように話し合いたい』なんて尋ねてきたことがありません。私はここがひどいと思います」
 この思いは、まさしく大嶽(前出)と同じだ。大嶽は自身の会社経営体験から憤る。
「僕は経営していた会社では、仕事のやり方をいつも職人たちと話し合いました。会社をたたむとき、残った財産はきちんと等分しました。それが公正なやり方だからです。それが僕の主義。だから、都の僕たちの生活を無視するやり方は許せないんです」
 高齢者が大半を占める霞ヶ丘アパートの住民はこれからどこへ行くのだろうか。


●ここは生命線だ

 井上の父親の鎮八(しんぱち。故人)は、前回の東京オリンピックの前から、国立競技場の近くでやはり食料品などの販売をしていたが、立ち退きに伴い、霞ヶ丘アパートに移り店を構えた。井上が店を継ぐことになったのは、27歳で結婚するあたりだ。
 同い歳で嫁いだ妻の京子は、初めの頃は慣れぬ環境に人知れずよく泣いていたという。だが、すぐにここが故郷になる。
「子どもを3人生んだんです。子どもを連れて外に出るでしょう。すると必ず誰かが『可愛い、抱かせて』とあやしてくれました。私も、自然と『ちょっと子どもを見ていてね』と頼めるようになりました。私はここの人たちに支えられてきたんです」
 その京子も住民を支えている。毎日、朝11時すぎには自宅で作ったオカズの入った鍋を店までもってきて、一人用の惣菜用パックにオカズを取り分ける。
「ここは高齢者が増えているでしょ。十年前くらいに、一度、コロッケを作って、外出できない人に届けたことがあるんです。それが評判よくって。それからは、毎日、オカズを作って、出歩けない人に配達しています。一人暮らしは、自分で作るのもたいへんだし、一人分だけ作るのもまたたいへんだから」
 そう言ってから、電話を手にした。
「xxさん。元気? うん、今日のオカズはビーフシチュー。おいしいよ。いる? そう、300円ね。はい、ありがとうございます!」
 オカズは毎日替える。多い日で10人くらいの注文を受けるという。
 店には、杖を突きながらでもフラリと住民が買い物に訪れる。どうぞと薦められた椅子に座ると、91歳の女性は夫への愚痴をとうとうと語りだした。井上夫妻が笑って聞いている。
 沢山の買い物をしても持ち歩けない高齢住民には、「じゃ、あとで届けるから」と井上が配達を引き受ける。
 数時間いるだけで解かる。ここは、ただの店ではない。一部の住民にとってなくてはならない生命線でもあり、交流の場なのだ。
 この店が2015年にはなくなる。

井上青果 ← 井上青果

 井上は、都からは「引っ越した先の新しい住宅で、店用のスペースを提供することは可能」と言われている。だがーー。
「私は68歳。なにごともなければ、ここであと五年間は頑張ろうと思っていました。でも、まったく新しい住宅に行って、なじみの客がつくのかは分からないし、ここみたいな人間関係ができるかは難しいと思います」


●引っ越した人

 東京都の住民説明会は一度きりだったが、その後、新宿区福祉事務所生活福祉第三課から、大嶽のような生活保護受給者には「転宅までの流れについて」と題した封書が送られてきた。以下のことが書かれている(概要)。
① 転宅先が確定しましたら、担当員にご連絡ください。
② 引越料金の見積りをとってください。
③ 引越料金は福祉事務所でお渡しします。
④ 転宅が終わりましたら移送費の領収書を提出ください。
⑤ 立ち退き料として17万1000円を払います。転宅の際の生活用品の購入に充ててください。

 生活保護を受給していない住民には引越し代金は支払われないようだが、立ち退き料である17万1000円は支払われる。
 どちらにせよ、着々と進める立ち退きへの手続きに、住民は「都は方針を変えない」との現実を突きつけられている。
当初は「絶対反対!」との気持ちをもっていた人でも、都の決断が覆らないこと、高齢の自分が闘い抜けるとは思えないこと、そして、少しでも体の動く今のうちに条件のいい場所に移ったほうがいいとの見切りから、引っ越す人が現れた。今年に入り、11月時点で、都が案内する都営住宅に移転した世帯はもう30を数えるという。

ご自由にお持ちください ← 引っ越していった人が置いていった甕

 寂しいと京子は語る。
「夜になるとアパートの窓からの灯りも日増しに少なくなっています。それを見ると、本当に寂しくなりますよ」
 一つずつ消える灯り。その数は今後さらに増える。引っ越していった世帯のいくつかは、都の仲介で、同じ新宿区にある都営百人町アパートに住んでいる。
 一口に「百人町アパート」と言っても、実際は、百人町三丁目から四丁目にかけて林立する16棟からなる高層アパート群だ。こじんまりとした霞ヶ丘アパートのあとにその外観を見ると、その巨大さと密集度にある種の圧迫感を覚える。
 京子は引っ越していった人が気になって仕方がないときがある。時間があれば「お元気?」と訪ねることもしばしばだ。
なかには、考えた末の移転という結果に満足する人もいる。よかったと思う。だがなかには、高層アパートの鉄の扉の内側に閉じこもる人もいる。隣人に会っても挨拶をするだけの関係に「誰とも話さない。寂しいよ、ここ」と京子に思いをぶつける人もいる。
「ちょっと前なら、毎日、挨拶しあって、話し合っていた人たちですよ。それが一人きりになると本当に辛いと思うんです」(京子)

 11月8日、ここに、霞ヶ丘アパートから渡部三男夫妻が引っ越してきた。まだ部屋の片づけも終わっていないからと対面取材は固辞されたが、電話で話を聞くことができた。
 何度か霞ヶ丘アパートに通ううちに、本当にいいところだと思いましたとの言葉を投げると、すぐに「そうですよ! 本当にいいところなんです」との言葉が返ってきた。
「私は84歳。もう50年もあの土地に住んでいたんです。山形出身で、上京後、大蔵省が管轄していた旧兵舎の空き部屋に住んでいました。霞ヶ丘アパートの近くです。その木造のボロ屋から鉄筋コンクリートの霞ヶ丘に入ったのは昭和39年。オリンピックの年ですね。こんないいところに入れて運がいいと思いました。3DKの部屋に私ら夫婦と子ども2人が住んでいました」
――いいところとは、施設の新しさですか?
「それもあるし、やはり人の温かさです。みんなが気心知れていますから」
――引っ越した理由は何ですか?
「私は70歳までレンズ研磨の仕事をしていたんです。車も乗っていましたが、年々、車から降りて歩くたびに足が弱くなるのを感じるようになりました。さらに今は、心臓にバイパスを入れていて、障害者手帳ももっています。霞ヶ丘にはずっと住みたかったけど、こういう体にきついのはエレベーターがないことです。4階住まいだったので、足が悪くなってから、上り下りが本当に辛かったです」
――しかし、東京都はエレベーター付き住宅に建て替えるつもりもなかったのですね。
「そうです。昨年の夏、それがはっきりしました。しかも『立ち退いてほしい』だから憤りました。しかし、そうと分かって、この体を抱えている以上は、逆に一年でも早く出ようと決めたんです」
――今、周りに、同じ霞ヶ丘から来た方はいないのですか?
「別の棟にはいます」
――環境が変わって気持ちに変化はありますか?
「霞ヶ丘では、歳を取っても互いに当たり前に付き合えたけど、ここでは、80過ぎの足の悪いジジイが外に出ると、周りが『可愛そう』との同情の目で見ることには違和感を覚えますよ」
――近所付き合いもこれからの話ですね。
「朝のラジオ体操だけは行っているんです。先日は隣の人に誘われてここの老人会にも行ったんですが、女性ばかりで…。ただ、今は自分の生活を落ち着かせるのが精一杯で周りを考える余裕がない。ここに来た以上は適応するしかありません。霞ヶ丘のみんなには会いたいですよ、そりゃあ。ここが落ち着いたら遊びに行きます。故郷ですから」


●私は残る

 渡部もまた「故郷」という言葉を使った。
その故郷を維持するために必要だったのが、エレベーター付き住宅への建て替えだった。
 東京都はオリンピック開催のための留保金が約4000億円ある。アパート住民のなかには、そんな金があるのなら、高齢の自分たちを追い出すのではなく、たとえば、霞ヶ丘アパートを十階建てアパート群にすれば、敷地は今の半分ですむ。残り半分を新国立競技場に隣接する芝生公園にすればいいではないかと訴える。なぜ、そういう話し合いをただの一度も行わなかったのかと。
 もう実現しないが、諦めきれないこの願い。しかし、現実を直視したとき、どこに移転するかは考えなければならない。町会長であるがゆえに井上も苦しい。
「私は建て替えてほしいと今でも思います。ただ、高齢者に残された時間を考えたとき、建て替えだけを論点に都と時間を使うよりも、見切りをつけた高齢者のために、今のうちにエレベーター付きの条件のいい住宅を都に紹介してもらうことにも努めたいです」
 そういう井上自身は最後までここに残る。
 甚野も残る。大嶽も残る。大嶽が残る理由は極めて明快だ。移る理由がないからだ。

家庭菜園 ← 霞ヶ丘アパートでは家庭菜園も自由

「昨日(2013年9月下旬時点)、都の若い役人が来ましてね。『大嶽さんは引越しをなさらないんですか?』と尋ねてくるんだ。『何ですか、それは』と返してやったよ。むかつくんだよね。これは僕から持ち出した話じゃない。向こうから持ってきた話だ。それに乗っかる必要は僕にはありません」
 百歩譲って、ここを出るとしても、ここから歩ける範囲しか選択肢はないと大嶽は言う。


●見知らぬ土地に高齢者が引っ越せるか?

 半世紀前の立ち退きでは、若い世代が多かった。だから環境の変化にも対応できた。だが、今回の移転はその大半が高齢者だ。一人暮らしも多い。
 甚野はアパートの老人会の会長を務めるが、移転をしたら、少なからぬ人が「命を縮めます」と訴えている。
「老人会では毎週集まりをもちます。先日も18人集まりました。このうち夫婦は3組だけ。あとの12人は独り暮らしで、ほとんどが、夫に先立たれた女性です。みんな週一度の集まりを楽しみにしているんですよ。家内も、キンピラゴボウなんかを作ってもっていきます。一人分のキンピラって少なすぎて作れないじゃないですか。だから喜ばれてね」
 その老人会で、甚野は「皆さん、何か困りごとはありますか?」と尋ねてみた。すると一様に同じ答えが返ってきた。
「これから私たちはどこに行って何をするの?」「どうやって生活していったらいいの?」
 悲痛。
 夫婦ならまだ支え合える。だが80代、90代の独居高齢者が、支えあってきた人々と離れ離れになったときの心情を慮ると、甚野は憤りを覚えるのだ。「それでもオリンピックをやるのか」と。
 私も少なからぬ高齢者が心身に不調をきたすと予測する。というのは、現在、10数万人もの人々が原発事故のあと、福島県を離れているが、取材で知り合った若者の祖母は、避難前は介護を受けながらもシャキシャキしていたのに、避難後は慣れぬ環境に心が悲鳴をあげたことを知っているからだ。見知らぬ隣人、見知らぬヘルパー、見知らぬ光景。そして、若者から来た連絡は「ウチのおばあちゃん、軽いボケが始まっちゃいました」。
 そんな事例は他にも数多く耳にする。甚野の心配が的中しないとは誰にも言えない。


●何のための新国立競技場なのか?

国立競技場 ← 国立競技場

 20123年11月になってから、マスコミは、新・国立競技場は巨大すぎて景観を壊し、当初予定の建設費1300億円を大きく上回る3000億円になるといった報道を繰り返した。一部マスコミ報道では、新国立競技場の床面積は20%縮小されるらしいとの情報も流れた。縮小が可能であれば、霞ヶ丘アパートの取り壊しも不要ではと思うアパート住民もいる。
 新国立競技場はロンドンオリンピックのメインスタジアムと同じ収容人数でありながら、倍の面積をとる。なぜこれほどに巨大化したのか。
 これを、国立競技場を運営する独立行政法人「日本スポーツ振興センター」に尋ねると、以下の回答があった。
「国立競技場は1958年の建設で、既に半世紀以上も使われ、老朽化が進んでいます。加えて、国際大会を開催する基準を満たしていないし、耐震構造でもありません。いつかは建て替えが必要でした。今回の拡張工事の契機は、2011年にスポーツ基本法が制定されたことです。翌年、これを受けて、文部科学省にスポーツ基本計画が策定され、そのなかで当センターが、大規模国際大会の誘致のために国立競技場の改築を担当することと義務付けられたんです」
 そこで、振興センターは2012年7月16日、「新国立競技場国際デザインコンペ募集要項」を発表し、9月、多方面から新国立競技場のデザイン公募を開始した。

 基本的な条件は2つ。
①床面積が駐車場も入れて29万平方メートルであることと
②予算が1300億円であること。
 
 ところが、29万平方メートルというのは東京ドームの2・5倍以上の面積だ。私も遅ればせながら、その募集要綱の敷地図を見てみると、その七月時点で霞ヶ丘アパートは再開発エリアに含まれていた。だがアパート住民は知らなかった。前述のように、知ったのはその翌月だ。
 そして、その面積も含めた新国立競技場の絵は、元々は、振興センターに設置された「国立競技場将来構想有識者会議」(14人)が描いていた。ところが、この有識者会議は非公開で行われ、議事録も非公開。さらに調べると、その委員の一人は石原慎太郎東京都知事(当時)である。
 つまり、オリンピック誘致の中心人物が絵を描きながら、その情報を都民にも当事者であるアパート住民にも公開しなかったのだ。
 この情報隠蔽とも思える状況に対して、2012年10月、東京都議会で大山とも子議員(共産党)が、有識者会議の議事録公開を求めた。だが、都の回答は「有識者会議は、日本スポーツ振興センターが非公開を前提に開催しているため、都は公開を求める考えはありません」というものだった。
 14人のメンバーは、高齢者が地域から追い出されることをわずかでも考えなかったのだろうか?
 そこで私は、都営住宅を管轄する東京都都市整備局都営住宅経営部に、霞ヶ丘アパートの立ち退きを意識しなかったのかを尋ねてみた。その回答は「住民にすれば事前に話し合ってほしかったと思っていることでしょう。ただ、敷地図を描いたのは国で、都はそれに従ってアパートを管理する立場です。多くの住民がまとまって移転できるよう努力するだけです」というものである。
 だが、私は思う。
 都は、住民を守る地方自治体として、国に「見直すべきだ」と訴えるべきだった。
 たった数週間のワールドカップのために、そしてオリンピックのために、話し合いもなく、足の不自由な一人暮らしの高齢者たちに突如出された退去通知。
 この状況を忘れまい。大切な何かの消失を知りながら、オリンピックに浮かれたくはない。
 東北被災地には「絆」という言葉を向けながら、オリンピックでは「絆」を断ち切る。わずか数週間の感動と絆が引き換えられていいはずがない。霞ヶ丘アパートは最後まで見届けたいと思う。 (完)

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2015/02/15 04:46   [ 編集 ]
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