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樫田秀樹

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●最後の日

 定住プロジェクトを終了させたのは、たまたま、私の2年間の赴任期間が終わりに近づいた頃である。私にはすることがなくなった。考えていたソマリア滞在3年目はなくなった。

 マグドールはとうの昔に姿を消していた。私が始めた「収入向上プロジェクト」(難民のなかでやる気のある人に、パン屋、鍛冶屋、省エネかまど作りなどの小規模事業の開始を技術的、資金的に応援するプロジェクト)は、そう難しいプロジェクトでもないので、後釜で入る新人に引き継がれることになった。
 
 ちなみに、定住プロジェクト中止については、私が去ったあとにソマリア人スタッフから農民に伝えらられることになった。というのは、私が予定より数日早くルークを離れることになったからである。帰国後に伝え聞いたところによると、計画中止を農民は「ああ、分かった」と淡々と受け止めたそうだ。それはそうだろう。元々、彼らには定住する気などなかったのだから。

 87年4月上旬、ルークを去る日がやってきた。
 その日の朝、いらないものはすべてソマリア人スタッフに分配しようと自分の小屋を片付けていると、多くの人が、別れの言葉を口にし握手を求めてきた。
 アオキが来た。この2年間、私を力強く支えてくれた正義感の塊だ。アオキの存在は大きかった。もっと一緒に仕事がしたかった。

「カシダ、行ってしまうのは本当に残念だ」

 そう言って握手を求めてきた。
 そのとき、私は不用品となった何十本かのミュージック・カセットテープを処分しようとしていた。それを見たアオキは言った。

「カシダ。君を忘れないために、これをもらえないか?」

 君を忘れないためにか! 私は思わず笑った。もちろんだ。あげるよ、アオキ。本当に、俺のことを忘れないでくれよ。俺も決して君を忘れない。こんなもので俺を覚えていてくれるなら喜んであげるよ。

「アオキ。今まで本当にありがとう。いつか会おう。いつか。元気でな」
「カシダ、俺を忘れるな」

 私たちは抱き合った。
 重いカバンを背負い小屋の外に出る。台所の前では、いつも通りコックのハビボが腰を下ろし、赤ん坊を抱いていた。

「ハビボ。いろいろとありがとう。日本に帰るんだ。さようなら」
「おー、カシダ。私こそありがとう、ありがとう」

 心からの笑顔を向けてくれる。

 私は会計室に行き最後の帳簿合わせをする。
 もう外ではモガディシュに向かう車が待っている。だが、会計室にもお別れの挨拶に次々と人がやってくる。モハメッドが、ラシッドが、ハッサンが、フセインが、アブドラヒが、ジョフが握手を求めてくる。

 この日、モガディシュに向かうスタッフは、もう全員がワゴン車に乗り込んでいた。

「カシダ、早く!」

 早くか。最後の日に実にソマリアらしからぬ言葉を聞いた。

「今行く!」

 警備員のユスフと握手してから、荷物をワゴン車の中に放り込み、私は後部座席に座った。
 
 すぐに車は走り出す。後ろを眺めていると、いつも見慣れている宿舎が、宿舎のゲートが、空がぐんぐん遠ざかる。これで最後だ。もう誰にも会えないかもしれない。車は走る。難民キャンプを抜け、ルークの橋を渡り、土ぼこりをたて、思い出に浸る暇もないくらいに突っ走る。車の中は、ソマリア人スタッフの馬鹿話で多いに盛り上がっている。車はいつしかルークを見渡せる丘を越えて一面のブッシュに入った。振り返ってももうルークは見えない。

 私は思った。いったい、私がルークで果たした役割は何だったのだろうか。本当にこの2年間、私でなければいけなかったのだろうか。所詮、私はいつかは母国に帰る外国人だ。個人にとっては長い2年間も、難民にしてみればその人生の何十分の一でしかない。

 ソマリアという、文化も習慣もまったく異なる土地でわかったのは、人を助けたいという「善意」は、その使い方を誤ればなんとおこがましいものなのかということだった。そして、私には人を実際に助けることなどできなかった。

 本稿ではあまり触れなかったが、違う文化をもち合わせた人たちとの楽しい思い出は多かった。だがそれ以上に、ソマリア人にたっぷりと揉まれながらケンカをするように走り続けた日々を生涯忘れることはできない。そこには、日本の常識が「絶対に」通じない世界がある。互いの世界の間には、どんなに乗り越えようとしても乗り越えられない壁がそびえている。私たちは常にこの壁の前でもがき、泣き、ときには呆気に取られ、どうしようもないやりきれなさに苦しんだ。壁の前で一体何度心が乾いていく思いをしたことだろう。

 時々思ったものだ――ソマリアは乾いている、何もかも。何もかもを乾かしてしまう。空も、大地も、時には人の心も。

 最後までソマリア――正確にはルーク地区――での難民の考え方や習慣を易々と受け入れることはできなかった。ただ、どんなに心を削る思いをしたとしても、互いの理解を隔てている壁の向こう側にある異質の思考回路や習慣を、少なくとも理解しようと努め、せっせと地道な話し合いに努めたからこそ、私たちは活動し続けることができたと思う。

 私たちと同じように農業プロジェクトを実践していたフランスのNGOは、ソマリア人との話し合いを重視せず自分たちの思うように農業をやらせようとしたので、農民の反感を買い、あわや暴力事件寸前にまで追い込まれ、数人が逃げるように帰国していた。

 学ばせてもらったものもある。それは、人間はどんな境遇になっても逞しく生きていけるという事実であり、人からどう思われようと、程度の問題もあるが、自分の意思や要求をずうずうしいまでに貫き通す姿勢をもつこともそう悪くはないということである。

 その視点から私の国日本を見ると、何と変わった国であることか。本当の失敗でなくともすぐに謝り、自分の意見を主張できずに社会の大勢に迎合してしまう。もし、ソマリア人が日本に住んだのならこう言うかもしれない――「なぜ皆正直に生きないのか」

 私は今帰るのだ、その日本へ。

 もし、ソマリアの体験が今後の人生に生きるとすれば、それはどんなに虐げられても、誇りをもち続け、最後まで自分を自分あらしめることなのかもしれない。随分、面倒な課題だな・・。
 車はいつしかブッシュを抜け、舗装道路に乗り上げ一気に加速する。風景は二年前とまったく変わらない。外を眺める私の頬にわずかに湿気を帯びた空気が流れてきた。


●エピローグ

 私がソマリアを去ってから数年後、ソマリアで内戦が始まった。そして、国連や米軍の介入にも関わらず、ソマリアが無政府状態になったのは周知の通りだ。
 内戦が始まり、1991年1月26日、シアド・バレ大統領は首都モガディシュを脱出すると、治安は一気に悪化。同年のある日、モガディシュのJVC事務所に強盗が入った。

 日本人スタッフのF君がこのとき事務所にいた。
 ドヤドヤと音がする。
 ドアが開くと、JVCスタッフのある技術職の男性スタッフが両手を挙げて入ってきた。その後ろには、銃を構えた強盗段。

「金を出せ」

 金庫の金を出すと強盗団は消えた。

 これを機に、JVCは活動不可能と判断し、ソマリアを去った。

 ソマリアを出たのはNPOだけではない。
 ソマリア国民、そして私たちと付き合ってきたソマリアの難民もまた国外に難民として流出した。その数100万人以上。

 内戦でもっとも被害の大きかったのはモガディシュから北西200キロのバイドア市。
 私がモガディシュからルークに行くときは、必ずここで降りて、ルークのスタッフのために果物などのお土産を買った。舗装道路はここで切れる。だからここが楽に移動できる最後の街だった。

 しかし、この街が「血の川」と化した。

 私の前任者、柴田久史氏の著書「ソマリアで何が?」(岩波ブックレット)にはこう書かれている。

 シアド・バレ大統領は逃げる途中、バイドアを通過していった。その際に軍隊は農民が蓄えた一年分の備蓄食糧の大部分を略奪し、井戸のポンプを奪い、手榴弾を投げ込んだ。陸路ケニアに脱出する途中、バイドアを通過したJVCの旧スタッフの一人は、バレ軍による大量虐殺と女性への無差別の暴行を目撃し「町の中に血の川が流れていた」と証言した。

 ところで、93年2月、ソマリアが小康状態となったところで、柴田氏を含め、ソマリアを経験したJVC日本人スタッフ数人がソマリアを再訪した。
 このとき嬉しいことがあった。
 スタッフたちはモガディシュでアオキに再会したのだ。アオキは、アメリカのNPO「ワールド・コンサーン」のスタッフとして給食センターで働いていたのだ。思えば、私も給食センターを立ち上げるとき、最初から関わってくれたソマリア人スタッフはアオキだった。

 よかった。アオキは生きていた。
 他にも、数人の旧スタッフの無事が確認できた。ケニアの首都ナイロビで勉強のためにやってきたM。孤児のなった男の子と一緒にナイロビの安ホテルで暮らしていたSの無事が確認できた。しかし同時に、亡くなったり行方不明となった人もいた。

 しかし、その後、アオキはワールドコンサーンを離れたようで、数年後にJVC東京事務所に「生活にとても困窮しているので、かつての仲間から支援をいただけないだろうかとの連絡が届いた。
 私たち旧スタッフは、5000円や1万円などの金を集めてアオキに送った。そんなことが2回あった。
 
 その2回目がもう10年以上前なので、アオキは今どうしているか、私は再び心配だ。

 そして、マグドールやマガネイで関わってきた難民の人たちは再び難民となった。どこに行ったのか?
 エチオピアか? ケニアか? ジブチか? 紅海を超えてイエメンか?

 私にとっては、「難民」と一括りにはできない。
 アボーカルであり、マーリン・アブディであり、カイロであり、ザハロであり、ファーラであり、水運びで働いてくれたハッサンであり、名前のある無数の個人なのだ。

 今、私ができるのは彼らを忘れないことしかできない。
 現地に行くこともできない。情報も入らない。

 また正直に話せば、あの揉まれるような日々をまた一年単位で過ごしたいかと問われれば、私は即答できない。ただ再訪はしてみたい。だが、それはいかにも物見遊山のようで、許されない。再訪するのなら、次につなげる何かができてこそだ。その何かは私にはない。

 忘れない。それしか私にできることはない。



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ソマリアで活動していたNPO「JVC(日本国際ボランティアセンター)」のスタッフによるブックレット。ソ1993年発行。
 ソマリアの歴史、大量の難民が生まれた背景、国家崩壊の背景、今何をなすべきかが、じつにコンパクトにまとめられている。
 ソマリア内戦から20年以上が経つが、同国が未だに無政府状態であることから、今でも本書からは基本的情報を学ぶことができる。




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 1985年、大学の医学部卒業後の研修医時代、国井氏が短期ボランティアを行ったソマリアの難民キャンプ。そのソマリア=破綻国家に国井は再び医師として関わっている。
 医療の本としてではなく、人間の生き様の本として読んでほしい。



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コメント
とても興味深く、拝見致しました。
自分の生活圏とはかけ離れた世界、価値観に驚きました。
毎日、たくさんの子供が亡くなっていく中、母親たちは悲しんで落ち込んでいる状況下にない。
でも、決して悲しんでいない訳じゃない。
そして、死後の世界があるとして心の安定を図るのですね。

私は、ボランティアに興味があります。
まだ、募金や物資提供など、比較的手軽な行動にとどまっていますが、
それらが役に立ったと思いたい反面、あれこれ与えてしまうことがよくないこともあるのだと分かりました。
彼らが、自分たちの力で未来を切り開いていけるようにする為のサポートこそ、長い目で見た時に彼らの役に立つのですね。

勉強になりました。
2014/03/02 01:27  URL [ 編集 ]















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