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樫田秀樹

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●内陸へ行け!

 兵隊狩りの翌月のこと。JVCのモガディシュ(ソマリアの首都)事務所から連絡の手紙が来た。

「ソマリア政府が、マグドールの難民を内陸地に移住させることを決めた」

 なぜ今ころ! その話は、私が赴任した2月には既にあった。場所は、約600キロ離れたジャララクシ難民キャンプ。ルークからはいったん海岸にあるモガディシュまで出てから「V」の字を逆に書くように再び内陸にまでVターンする。

 ジャララクシには、私も視察に出かけたことがあるが、気候はルークよりもはるかに穏やかで、町と難民キャンプが混在しているほど治安もよく、難民がゆったりと歩いていたのが非常に印象的だった(やはり、殺人的な気候は人間心理をも殺伐と変えるのかもしれない)。

 つまり、マグドールは元々、ジャララクシに移動させる前段階の「一時キャンプ」としての位置付けだった。
 だからこそ、他の難民キャンプにはどこにもある食糧配給所も学校も設置されず、RHU(難民保健省)による給食センターと診療所も設置されなかった。
 ただ、さすがにコレラ発生を機に浄化給水所は設置されたものの、水同様に命をつなぐ食糧配給には、マグドールの人々は隣のマガネイ・キャンプにまで歩いて行っていた。

 ところが、このジャララクシ移住計画はいつのまにか噂にも上らなくなり、誰しも計画の存在さえ忘れ、私も、緊急状況を脱したマグドールでの次のプロジェクトを考えていたころの決定だから実に驚いた。


 私はマグドールの担当者としてすぐにUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に赴き、移送計画の概要を知った。移送地はジャララクシから少し北に行った砂漠の地「ジャボレ」。移送はトラックを使って何回かに分けて行われ、まずマグドール1のセクション1から始め、セクション8が終わった時点でマグドール2へと手続きが進められる。

 ソマリア政府は移送理由をこう説明していた。

1 ルーク地区は、マグドール以前に既存の難民キャンプが8つもあり、これ以上難民キャンプを増やすことは出来ない。

2 ルーク地区は、エチオピア、ケニアの両国境から近い位置にあるため、これ以上の難民を置いておくことは治安上望ましくない。

3 ルーク地区でこれ以上の難民を受け入れることは、新たな難民の呼び水になる。

 こう説明されても、私は今もって何が本当の理由だったのかがわからない。2や3の理由ならば、ルーク地区の全難民キャンプの移住を考えねばならないからだ。ともあれ、この噂は瞬く間に、正確にはその日のうちに、マグドール、そして、ルーク地区の全難民キャンプを駆け巡り、すべての難民の一番の関心ごととして人心を動揺させた。
 なんといっても、これまでルークに住む以外に道はなかった難民に初めて、それ以外の道が提示された初めての計画だからだ。

 翌朝、マグドールに行くと、質問攻めが待っていた。

「移送は事実か?」
「本当だ」
「いつだ」
「12月に第1陣が出る」
「どこのセクションから移送されるんだ?」
「セクション1からだ」
「カシダ、俺は早く行きたい!」
「え?」

 私は、彼らが、なんとしても故郷に近いこの場所にいたいと主張するのかと思ったが違った。セクションリーダーをはじめ、労働者に意見をきくと、積極的に移送計画に反対する人間はいなかったのだ。せいぜい「エチオピアに家族を残している者はここに残りたいだろうが、仕方ない」という程度の意見が出るくらいで、むしろ、「行きたい」との声が多かったのだ。穏やかな気候のことを耳にしていたのか、マグドール外から通っているCHWのカマルやギニーも「カシダ。JVCはそこでも保健プロジェクトをやるんだろ。なんとか、俺をそこのスタッフにしてもらえないか」と頼んできた。
 
 もしかすると・・。
 嫌な予感がした。


●唯一の身分証明書を…

 その数日後の午後、移送する人を確定する登録作業が行われることになった。
 JVCもオブザーバーとして参加する。

 その場所に指定されたマグドール1の給食センターへと向かう車窓からの眺めは異様なものだった。
 第一陣の対象となるセクション1や2の人々や、やじ馬として隣のマグドール・キャンプの難民がそこにいるのは当然としても、見たこともない人たちが、マガネイ方面からもドリアンリー方面からも黒山の人だかりとなってマグドールへと歩いていたのだ。

 現場に到着すると、UNHCRは言うに及ばず、DRC(地域難民委員会。政府機関の国家難民委員会=NRCの地方組織)、RHUから大勢のスタッフが集まっている。給食センターと診療所で使っているすべての机と椅子が並べられ、着々と登録作業の準備が進められていた。

 それにしても、一体、何千人が給食センターを取り巻いているのだろう。そして、なんのため。

 この日のため、JVC農業チームからも何人か助っ人に来てもらっていたのだが、一人がある方向を指差した。
「あの人。ほら、あの人。確か、マガネイの農民の奥さんだ」
「あいつ、ドリアンリー難民キャンプのヤツだぜ」
「どうなってんだ・・」

 そのとき、UNHCRの黒人スタッフが私の肩をポンポンと叩き、「おい見ろよ」と近くを指差した。
 見ると、顔見知りのマグドールの人と、他キャンプの人が互いの食糧配給カードを交換し合っている。そこだけではない。ちょっと周囲を見渡すと、そういう人だらけだ。マグドールのコックのザハロもいた。彼女はドリアンリーの人間である。

 やはり、この地に留まりたい人はいた。そして、「新天地」に行きたい人もいた。今日、何千人もがルークじゅうの難民キャンプから集まってきたのは、互いの食糧配給カードを交換する目的があったのだ。

 食糧配給カードは難民の唯一の身分証明書でもある。これが、ジャボレ行きの乗車券としても機能する。
 集まっていた人々は、「新しい」カードでも食糧配給に差が出ないよう、できるだけ家族の人員数の同じカードを交換していたようだ。

 だが、大丈夫なのか?

 カードは難民の唯一の身分証明書であり、そこには、家長の名が記されているからだ。つまり、カードを交換した人々は、以後、表向きは違う名前で生きることになる。


●最悪の登録作業

 登録作業が始まった。DRC職員が、拡声器を使って難民登録台帳の中から一人ずつ名前を読み上げると、黒山の一群から呼ばれた難民が抜け出し、机の前にいるUNHCRやNRCの係員にカードを提示し、係員は、ノートに家族構成員数と家長の名が記入していく。

 このやり方は最悪だった。トラックへの乗車券を配るでもない。ただ、ノートにカードの内容を書き写すだけ。

 セクション1のリーダー、ラシッドの協力を仰げば短い時間で作業は終わるのに、DRC職員は、その半分以上が実在しない難民の名を読み上げることを繰り返すから、一時間たっても30人も処理できない。机の前に列はできるが、遅々として列は縮まない。ましてやまだ呼ばれていない黒山の人だかりは不動の山のごとく崩れる気配もない。これで、どうやって、マグドール1だけで5000人はいる難民の登録を終わらせるつもりか。やがて、進まない作業と灼熱の太陽光線に難民がいらつき始めた。

 初めは、机の前で一列に並んで登録を待っていた難民も、徐々に列が崩れ、最初の一人が抜け出して「おい、俺のも見ろ」と机の前に走り出すともうダメだった。給食センターを開設した3月の光景の再現だ。何十人もが一気に係員の机の前に、右に左に、ついには後ろに殺到し、四方から食糧配給カードを差し延べる。

「仕事にならん。並べ!」

 周りにいるDRC職員が血気に逸る難民を引き離し、再び整列させるが、一分ももたずに列は崩れ、これでもかともみくちゃにされた係員は怒りに顔が茹で上がり、「この野郎!」と叫びをあげる。

 これがマグドールだけの難民ならば、リーダーや私たちで何とかできたかもしれないが、そうではない以上、制御不能に陥るしかない。整列さえしていればいつかは登録されるのに、熱くなった難民はその判断ができず、頑として列を作ろうとせず、我先に登録を迫る。

 作業は予定の10分の1も進まない。早くも夕刻が迫ってきた。DRC職員に呼ばれるまではじっと待っていた難民もしびれをきらし、イライラを互いにぶつけ合っているのか、やがて怒号が沸き起こり難民同士での小競り合いと石の投げあいが始まった。初めは100メートルほど離れた場所での小競り合いだったが、黒山の難民はやがて70メートル、50メートルと給食センターに距離を詰め、ワーワー、ウォーという声と、無数の石がバラバラと着地する音が私たちに聞こえるほどになると、ようやくUNHCR職員もDRC職員もRHU職員も、難民の憤懣が自分たちに向けられていることを知った。ついには、何百人もが有刺鉄線を張った塀をワッセ、ワッセと倒しにかかった。

 UNHCRの白人職員のSが椅子から半分腰を浮かし、迫り来る状況に「あ・・、あ・・」と放心したように口を半開きにして見ていたが、突然ハッと我に帰り叫んだ――「帰ろう!」
 そして私の肩をポンと叩いてこう言った。
「あとは頼んだよ!」

 おい!

 UNHCR、DRC、RHU、その他のNGO。書類をまとめ車に乗り込み急発進でマグドールを去っていく。その間、わずかに2、3分。

 いきなりガラーンとした場所にJVCスタッフだけが残される。「あとは頼んだ」だと。何もできるはずがない。

 ただ、私たちがここで日常的に活動していることを知っているので、難民は私たちに危害を加えることはなく、今日の登録に不平不満をたれながら三々五々去っていった。みんなが帰ってから敷地を見渡すと、給食センターの壁、有刺鉄線の塀はあちこち壊され、倒され、まさしく騒ぎが暴動寸前であったことを改めて実感させられた。


●軍隊の動員

 その一週間後くらいか、再び登録作業が行われることになった。
 給食センターに到着すると驚いた。迷彩色の軍服を着た兵士が大勢いる。暴動を未然に防ぐため、UNHCRと政府は軍に協力を仰いだのだ。

 効果は絶大だった。

 机の前に並ぶ難民は、列を乱さぬよう全員座らされていた。だが、前回同様、立ち上がり、列を乱す難民は当たり前のようにいた。そのたびに、兵士はヤギかロバでも扱うように、「並ばんかい」と木の枝をピシピシとその難民の肩や腕に軽く当てていた。だがそのうち、兵士が難民をたしなめる程度の役目しか果たしていないと察すると、一人の難民の老女は「ここで何時間待っていると思っているんだ! 私を先に登録させろ!」と兵士に詰め寄り列を離れた。

「そうはいかん。命令だ。列に戻れ。座って待て!」
「戻るもんか!」

 老女は係員のいる机へと向かった。とたんに何人かがそれに続いた。座っていた人たちはそれに巻き込まれるように立ち上がり、受付の机に殺到した。命令に従わない難民の塊に兵士が押される。「戻れ―!」の声に一人も耳を傾けない。何人もの兵士は、一瞬にして頭に血が上り、渾身の力を込めて列を乱した難民の体を枝でぶち始めた。数十人もの頭が荒波のように激しくうねり、ギャーという悲鳴と土ぼこりが湧き上がる。やっと列に戻り地面に座った難民を確かめた兵士たちは、鬼の形相で、全身でハーハーと激しい呼吸を繰り返している。土ぼこりが晴れると、ぶたれた老女は、灼熱の天を仰いで、「おー、アッラー、アッラー」と一人芝居でもしているかのような長い祈りをブツブツ呟いていた。登録作業を待っている黒山の人だかりも、軍隊に囲まれていては、この日ばかりはおとなしい。

 凄まじい現場だった。だが、こうでもしないと登録作業が終わらなかったのも事実だった‥。
 もちろん、前述のように乗車券を配るわけではないので、何の意味もない作業なのだが。

 それにしても…。

 本当にマグドールは消えてなくなるのだ。ここに多大なエネルギーを注いできた私は、複雑な思いで現状を受け入れるしかなかった。


●移送始まる

 第一回目の難民移送は、13台のトラックを使い、12月13日に行われた。この日もメチャクチャだった。

 朝5時すぎから乗車手続きが始まっていたが、隙を見て、乗車登録を受けていない難民がどんどんトラックの荷台に乗り込んだのだ。しかもマグドール2からも。私たちは必死で叫んだ。

「やめるんだ! 食糧配給カードもなく、どうやって向こうで生きていくんだあ!」

 誰もがこの忠告を無視した。そんなことは彼らがとっくにわかっている。何か理由があるのだろう・・。

 前記の通り、乗車券を発行しない最悪の登録だったから、ジャボレに行きたい人は我先に乗り込めたのだ。

 この第1回移送には、UNHCRの車に乗って私も同行したが、丸2日かかり、翌日の日暮れにジャボレに到着した。

 そこで再認識したことがある。

 移送された人々の半分以上がマグドール出身ではなかったことだ。それだけではなかった。


●便乗難民

 ジャボレ到着時、UNHCR職員が不審な中年女性を問い詰めていた。

「食糧配給カードは?」
「なくしました」
「何か他に証明になるものは?」
「ありません」
「マグドールでのセクションは?」
「1です」

 私はその女性を見たことがなかった。念のため、たまたま近くにいたセクション1のリーダーのラシッドを連れてきて確認してもらったが、やはり「知らない」という。

 UNHCR職員はここで畳み掛けた。

「では聞くがね、昨日マグドールは朝出たかな、昼出たかな?」「途中の食事は何だった?」「休憩を取った場所の名前は?」

 女性は観念した。移送ルート途上の村からトラックに乗り込んだ地元住民だった。

 便乗難民だ。

 翌日、彼女は村に送り返されることになった。それにしてもなぜ。彼女はこう答えたのだ。

「難民キャンプの方が、食糧の面で安心して生きていけるからです・・」

 これは、村での生活がそんなに厳しいものなのか、それとも、援助に依存したいだけなのか、その両方なのか、今でもその答がわからない。


●置き去りにされる人たち

 この難民移送はその後何回か行われるが、なんとしたことが、まだ数千人を残したまま、突然中止になる。「まグドールにはもう人がいない」との理由で。

 棄民じゃないか。

 その話は次回。


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