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樫田秀樹

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 6月24日、地平線会議(このブログでも5月28日に書いてある、地球体験を共有する場です)で報告会がありました。報告者は二人。
 バイク・ジャーナリストの賀曽利隆さんと、テレビ番組制作会社の高世仁さんです。

 親を除き、この世で誰を尊敬するか。一人だけ名前を挙げよと言われたら、私は賀曽利さんの名前を挙げます。

 大学受験のために浪人をしていた30年以上も前、受験勉強のほかに私がしていたいことは、旅行記や冒険記を読むことでした。読めばわくわくするのです。しかし、一人で旅行などしたことのない私に、自分が海外に行くなどとんでもないことで、そういう本を読むたびに「オレには無理だなあ」と思うのでした。

 しかし、毎日そういういろいろな本を何ヶ月も読み続けていると、「無理だけど、行ければいいなあ」、そのうちに「行きたいなあ」、そして「これやっているのは同じ歳の若者だ。オレでも行けるんじゃないかな」、ついには「行きたい」、「よし行こう!」と気持ちが昂ぶるのです。

 それを決めさせた本が数冊あります。一つは故・植村直己さんの「青春を山に賭けて」、一つは故・上温湯隆さんの「サハラに死す」、そして賀曽利隆さんの「アフリカよ」でした。

 「サハラに死す」は、サハラ砂漠横断にラクダで挑み、その途上、わずか22歳で亡くなった上温湯さんの日記を整理した本です。当時は、これを読んだ多くの若者が「オレもサハラに!」と旅立ったものです。

 そして、「アフリカよ」は1960年代後半、二十歳だった賀曽利隆さんが、2年間のアルバイト生活で貯めた資金で日本からアフリカにオートバイを送り、1年と8ヶ月をかけてアフリカ1週をした記録です。これには、体がヒリヒリする熱い思いを抱きました。そこで私は「サハラ砂漠にオートバイで行こう」と決めたのです。

 この本を読んだ当時、18歳だった私は、この行動を起こしたときの賀曽利さんが二十歳だったことに、そしてその準備を同じ18歳から始めていたことに強い刺激を受けました。

 そして一つ抱いた関心ごとは、その本を読んだとき、賀曽利さんはもう30代に突入していたわけですが、「30代になったこの人は今何をしているのだろう?」ということでした。
 答えはすぐに見つかりました。オートバイでアフリカに行くと決めたからには、まずはオートバイ雑誌を読もうと「月刊オートバイ」を立ち読みしてみたのですが、そこに「鉄人賀曽利の峠越え」とかいった賀曽利さんがオートバイで日本の峠を走る連載がされていたのです。「まだ走っているのか!」と驚きました。

 しかし、賀曽利さんは63歳の今も走っています。南極と北極以外は、ほとんどの国を走り、日本でもすべての自治体、数え切れない峠を走り、3000湯を越える温泉入浴などもこなし、切れることなく走り続けています。
 先日の地平線会議では、地震と津波の被災地の東北地方を「どう被害を受けて、どう元気を取り戻しているか」を確認するためにオートバイで走ってきた様子を報告したのです。

 さて、私がなぜ賀曽利さんを尊敬するかというと、これは誰もが言うことですが、とにかく、どんな誰でも友達にしてしまうことです。

 私には裏表があると思います。自分と気の合いそうな人とは親しげに、合わなさそうな人とはつきあいません。だが賀曽利さんにはそんな仕切りがありません。相手がどんな人間であるからではなく、自分はこうやって人と向き合うんだとの自己の姿勢を打ち出すだけです。初めての人にも大きな声で「こんにちわー!」と挨拶しては、たった1分で友達にしてしまう。このへんはアフリカっぽいですね。

 また、二十歳からずっとオートバイに載っているわけで、いわゆる定職に就いたことがありません。でも、この「これが大好きだから」と、ひたすら大好きなオートバイに乗り続けることを選択し、旅をし続ける。そういう一つのことをやり続けることで、日本中の地域の文化、道や川、滝、岬、温泉、峠の情報に精通し、いつの間にか、出版社からも旅行会社からも頼りにされるようになり、これで食えるようになっているのですが、私は、食える食えないよりも、自分が選んだ道をただ真っ正直に突き進んできたことを尊敬します。しかも、収入がどうなるか分からない「バイク乗り」という道を、妻子がいても、選んだことには自分を貫いたのだなと評価しています。

 やり続ける。その結果、「食える」という結果がついてきたのです。

 私は大学3年生の1980年、大学の前期を休学し、ロンドンでオートバイを買い、そのままフランス経由で地中海をフェリーで渡り、アルジェリアからアフリカに入り、6月という真夏のサハラ砂漠をときに日射病に倒れながらも縦断し、10月に帰国したのですが、その後、月刊オートバイにその紀行文を書いたところ、同誌に真っ先に「感激しました!」と感想を寄せてくれたのも賀曽利さんでした。あれは嬉しかった。
 私は賀曽利さんには、地平線会議で1981年にお会いし、以後、賀曽利宅にも時々泊めていただくなどのお付き合いをさせてもらっています。

 その私が、長年、ずっと望んでいたことがありました。それは、図書館で出会ったことで私のアフリカ行きを決めさせた「アフリカよ」を入手することです。しかし、出版社はとうの昔に倒産し、40年以上も前に出た本はありません。この本は、e-booksなどを利用すれば、パソコンではダウンロードして読むことができますが、私はどうしても「本」が読みたかった。
 これは普通の古本屋にもないし、インターネットの古本屋で検索してもありませんでした。

 ところが2年前、パソコンで作業をしているときに、フと「ピン」と頭にシグナルのような感覚が走りました。私は何気に次の瞬間、インターネットの古本情報で「アフリカよ」を検索すると、なんとあったのです。
 値段は3500円と定価の4倍以上の値がついていましたが、これを逃せばもう一生手に入らないと、即注文したのは言うまでもありません。

 そして驚いたのが、数日後、届いた包みを開けてみると、この本、なんと「帯つき」でした。いったいどこの誰が、40年以上も帯をつけたまま本を大切にし、古本屋にこれを出したのでしょう。

 ともあれ、先日の地平線会議で、久しぶりに賀曽利さんに会えると思った私は、この本を持参し、サインをしてもらったのでした。

 賀曽利さんのサインはワンパターンです。でも力強いーー「生涯旅人!」


アフリカよ表紙  アフリカよサイン

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2011/06/27 12:38 地平線会議 TB(0) コメント(1)
 
 「地平線会議」で、原発事故での「計画的避難区域」に指定されている飯舘村のことを話しました。

 「地平線会議」とは何ぞや? ということですが、別に形がガシと固まった組織ではありません。言うならば、世界や日本のあちこちでいろいろな体験をしてきた人たちが集う場です。

 いろいろな体験。まさにいろいろです。

 オートバイや自転車での世界旅行、ゲリラ組織への従軍、ヒマラヤに通い続ける人、年金で世界中を放浪する人、各地の先住民と一緒に暮らす人、NPO活動などをしてきたひと、恐竜発掘に賭ける人、世界中の川下りをしている人、砂漠に木を植える人等々。

 地平線会議は1979年8月にスタートしましたが、その基軸となる活動は、月に一度、それら体験者の誰かに報告会をしてもらうことです。
 参加は誰でも自由で、受付で500円を払うだけです。今のところ、東京都新宿区の新宿スポーツセンター(JR高田馬場駅から徒歩10分)で第4か第5金曜日の18時30分からやっています。詳細は「地平線会議」のHPをご覧ください。

 私がこれに参加したのは1981年のまだ学生時代で、世の中にはこんなケッタイな生き方をする人たちがいるんだと、月に一度の報告会を楽しみにしていたものです。という私も、その参加前に真夏のサハラ砂漠をオートバイで走っていて、卒業後も就職せずにまたオートバイでオーストラリアなどを走っていたので、学生仲間からは「お前、将来大丈夫か?」とずいぶん心配されたものです。

 地平線会議に参加してよかったのは「どんな生き方をしてもいい」ということを学んだことでした。
 当時は学生・・とはいえ、私は岩手大学という地方の大学生であり、そんな地方で、学校を半年間休んでオートバイでアフリカに行くのは、周囲にはけっこう特異な生き方として映っていたようです。

 ですが、地平線会議に来ると、そんな人間がゴロゴロいる。そして、学生時代に限らず、社会人になっても自分の好きなことをやり続けている先輩たちがいるのは、私にとって幸いなことでした。

 私がオーストラリアの砂漠のオートバイの旅から戻り、借金した旅行資金を返すためにやむなく会社勤めしたときは「なーんだ。会社勤めか。お前ももう終わりだな!」と冗談とも本気ともつかない言葉が地平線会議の面々から寄せられ、1年半後にその会社を辞め、NPOの一員として、アフリカのソマリアの砂漠の中の難民キャンプで活動することを決めたときは、みんなが退職を喜んでくれました。「そうだよ、樫田君。それでなくっちゃいけないよ!」
 そういうことでは、ヘンな集まりなのでしょう。

 もっとも、地平線会議にはサラリーマンも数多くいます。なかには、休日を利用してカヌーで日本の沿岸を1週した人。走って日本を縦断した人。はたまた、長期休暇を取って海外にまで気球に乗りに行った人など様々です。労働形態はどうあれ、自分のやりたいことをやる。これを地平線会議からは学んだように思います。

 前置きが長くなりました。
 先月、そして今月と地平線会議では、大震災と津波の被害、そして原発被害に関する報告会を実施したのです。
 原発正門前まで行ったジャーナリスト、野良と化した犬猫を救う活動家、地震翌日に「放射能漏れです。直ちに南に避難を」の防災無線でとにかく逃げたいわき市民、ガレキ撤去などを行う市民活動等々。

 昨日の報告会では私がトップバッターとして、飯舘村で見聞きしてきたことを語りました。
 それはこのブログで既に書いてあるので、繰り返しませんが、最新情報で言うと、昨日は5月27日ですから、当初言われていた「5月末までの全村非難」までは4日間しかないわけです。当然、世間一般ではもうほとんどの避難が終わっていると思われがちですが、まだ半分以上の人口が村に残っています。

 いろいろな理由があります。
 ●村が避難先を人口の半分以下の2700人分しか用意していないこと。
 ●避難するにも引越し代がかかります。通常何十万円もかかりますが、その余裕のない世帯は引っ越せない。東電の仮払い賠償金100万円だってまだ支払われていないので動けない。
 ●家族内での意見の相違

 また、5月6日のブログにも書いた、飯舘村の酪農家の田中一正さんですが、東電が「補償します」と口先だけで一円も払わないことで、村の酪農部会はとうとう全頭を屠場送りと決めたのですが、実際、田中さんは11日に13頭、24日に3頭を屠場に送りました。
 残る牛は14頭。おそらく、次回の屠場送りで田中さんの牧舎は空っぽになるかもしれません。

 田中さんは、酪農に全てをかけて、この飯舘村に9年半前にIターンしてきた人です。当初は村役場からは「無理に決まってる」と一笑に付されるだけだったのですが、田中さんはとにかく牛舎を開放的(牛をつながない)に、かつ、毎日木材加工業者から毎日もらうオガクズを床に敷き詰めて清潔を保つことで、良質な牛乳を算出していました。村の牛乳品質検査でも毎年最優秀賞を受賞するほどです。

 牛がいなくなった牛舎を見たとき、田中さんは何を思うのか?
 田中さんはこう話しました。
「よく、原発で故郷がなくなるって言うでしょ。でも僕はその故郷をとっくに捨てて、ここに自分の骨を埋める覚悟で移住して酪農に全てをかけてきたんです」

 廃業の迫る田中さんに、国も東電も何もしない。

 
 さて、私がそんな話をした後に、ジャーナリストの恵谷治さんが、25年前のチェルノブイリ事故で近くの町を調査した話を。ついで、子どもたちの漁村体験をコーディネートする「海と漁の体験研究所」主催の大浦佳代さんが被災した漁村の現状報告を、日本中の漁船や漁具を研究してきた森本孝さんが被災地の昔の写真を、そして、宮城県女川町で住職を務める八巻英成さんが、実際に目の当たりにした津波の様子、避難所になったお寺での240人前後の避難生活を語りました。

 八巻さんの言葉はとても印象深かったです。たとえば

「童話の桃太郎では『大きな桃がドンブラコと川を流れてきました』とのくだりがありますが、今回の津波でのドンブラコは家でした。無数の家が、右からも左からも海をドンブラコと漂っていたのです」

「寺の毛布は50枚。避難してきたのは240人なので、4~5人で1枚にくるまってもらい寒い夜を過ごしてもらいました。最初の三日間は、食事は1日に一回だけ。握りこぶし半分のおにぎりと味噌汁少々でした。今だから言えますが、火の燃料には卒塔婆を使いました』

「国や町は今、高台に住宅地を設置しようとしています。でも、漁民は海の見えるところに住まないと、つまり、自分の目で海を見ないと漁ができないんです。今、町が目指しているのは復旧であり復興ではないです」

 私もこの高台案には一理あるとは思いますが、疑問視もしています。
 というのは、阪神大震災の後、神戸市には復興住宅という名の高層マンションがあちこちにできましたが、そこでは、近所付き合いを奪われた高齢者たちが、その寂しさに耐えられず、食事も満足に取らないまま孤独死し、もしくは自死しているのです。同じことが高台プランでは起きないか? 私はこれを怖れています。

 八巻さんは「とにかくこれを風化させたくない。東京周辺の人たちと力を合わせたい」と語りました。

 次回地平線会議は6月24日の予定です。6月も今回と同じテーマでやるようです。

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2011/05/28 22:00 地平線会議 TB(0) コメント(0)
リニア取材のカンパのお願い
 リニア中央新幹線の取材範囲は、東京都から愛知県までと広範囲で、多大な取材経費を要することから、数十組もいる会うべき人たち・組織の多くに会えないでいます。また、リニアに関する記事を書こうにも、ほとんどの雑誌はJR東海が広告主であるため、記事を掲載できず、取材するほどに資金力が落ちる状態が続いています。今後は、再び単行本の発行を目指しますが、私のリニア中央新幹線に関する取材へのご寄付をお願いできないでしょうか?  カンパをしてくださった方には ★ブログに記事を掲載する際のお知らせ。 ★雑誌に記事を載せる場合の、掲載誌送付。 ★単行本を出した際の、一冊謹呈。  など、せめてもの特典を用意いたします。  なお、いただいたカンパは以下の用途に限定します。 ★取材地までの往復交通費。 ★取材地での宿泊費。 ★リニア中央新幹線に係る資料代。  食費は自己負担としますが、使用明細は公開します。  ご協力いただける方は以下の口座への入金をお願いいたします。  みずほ銀行・虎ノ門支店・普通・1502881 カシダヒデキ  ご入金に際し、ご住所や連絡先などを教えていただけたら助かります。どうぞよろしくお願いいたします。
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リニア中央新幹線を巡る問題を語らせては、その理論に一部のすきも見せない橋山禮治郎氏の第2弾。このままでは,リニア計画とJR東海という会社は共倒れになることを、感情ではなく、豊富なデータを駆使して予測している。必読の書。
自爆営業
国会で問題にされても一向に改まらない郵便局の自爆営業。年賀状1万枚、かもめーる700枚、ふるさと小包便30個等々のノルマはほぼ達成不可能だから、ほとんどの職員が自腹で買い取る。昇進をちらつかせるパワハラや機能しない労組。いったい何がどうなっているのか?他業種の自腹買取も描いている。
アキモトのパンの缶詰12缶セット
スペースシャトルの宇宙食にもなった。保存期間は3年。しっとりおいしい奇跡の缶詰。24缶セットもある。
共通番号の危険な使われ方
今年10月に全国民に通知され、来年1月から運用が始まるマイナンバーという名の国民背番号制度。その危険性を日本一解かり易く解説した書。著者の一人の白石孝さんは全国での講演と国会議員へのアドバイスと飛び回っている。
マグネシウム文明論
日本にも100%自給できるエネルギー源がある。海に溶けているマグネシウムだ。海水からローテクでマグネシウムを取り出し、リチウムイオン電池の10倍ももつマグネシウム電池を使えば、スマホは一か月もつし、電気自動車も1000キロ走る。公害を起こさないリサイクルシステムも矢部氏は考えている。脱原発派は必見だ。