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取材しても、記事にできる情報は1割未満。しかし捨てた9割にも、伝えられるべきものがあります。ボツになった企画も数知れず。そんなネタを紹介します。なお、本ブログの文章と写真の無断転載はお断りします。ご利用希望者合はご一報下さい。
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樫田秀樹

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  2011年8月15日に、3.11の津波で被災したが、再興した海苔養殖業の「星のり店」(宮城県七ヶ浜町)のことを書きました。

 その記事はこちらです。

 その記事のメインは、どちらかというと、「匿名組合」というシステムを活かした市民ファンドでの被災地支援についてでした。星のり店は、そのファンドで再起ができた事業者です。この時の取材は、電話取材でした。

 しかし、今年7月にある雑誌に、心が満足する投資、という特集記事を書くことになり、その一つとして、再び星のり店を取り上げたのですが、今回はきちんと現地取材をしました。

 私は認識を改めました。
 星のり店は、単に助けられただけの存在ではなく、立ち上がるべくして立ち上がった事業者だったのです。


●浜一番の水揚

 星のり店は、他の海苔養殖業者と同じように、家族経営の店です。
 店主の星博さん(61)は、学生時代から家業を嫌い、実際、仙台市で証券マンとして働いていました。
 しかし、母親の死去を機に20代後半で、妻と子とともにUターンをします。
 その時決めたのが、「やるからには浜一番の水揚げを達成する」ということでした。

 同級生の中には、中卒と同時に海に出ている人もいたので、星さんは、海苔養殖の盛んな九州の有明にまで毎年出かけては講習を受け、必死に知識と技術を学び、実際に、七ヶ浜で一番の水揚げを記録するまでに至ります。

星博さん ← 星博さん。市民ファンドで買いなおしたブイと網と共に。


●無農薬でやりたい!

 私も初めて知ったことですが、じつは、私たちが買う海苔のほとんどすべては化学処理されています。海苔の種を付着させた網を海に降ろす前に、船の中に設置したプールで化学的な酸に浸すというのです。

 七ヶ浜は半農半漁の町。
 星さんもお米を栽培していたのですが、そのコメは一貫して無農薬にこだわっていました。
 そして、星さんは、海苔においても、ほとんど誰もやっていない無化学処理で挑もうと決めたのです。

 試行錯誤はじつに16年におよび、EM菌という有機液を利用しての培養に成功し、なおかつ、どこよりもおいしい海苔の製造に成功します。


●3.11での被害額は3000万円以上。

 また、星さんが取り組んだのが、販売を漁協だけに頼らずに、水から固定ファンへの産直を手がけたことです。漁協に卸せば、あとの流通に関しては、事務手続きも発送手続きもすべて自分でやる必要はありません。
 しかし、星さんは、漁協を通すと、満足な収入に至らないことと、自分の海苔を判ってくれる人たちに直接海苔を届けたいとの思いで、漁協への卸しを少なくし、自主流通に力を入れます。

「これは怖いですよ。だって絶対にヘタなものは作れないのですから。だからこそ真剣になれました」(星さん)

 そうして、星のり店の固定ファンを400人獲得するに至るのです。

 だが、その生活の術が壊される時がやってきます。

 2011年3月11日。午後2時に海から陸に戻り、高台にある自宅に戻ったころにあの大震災がやってきました。
 すぐにラジオ速報で「津波警報」が発令されます。しかし、星さんたち住民は「いつものやつだ」とのんびり過ごしていたそうです。
 だが、津波警報が「1メートル」から「3メートル」、そして「5メートル」「8メートル」と数字を上げることに戦きます。なぜなら、堤防は高さ5メートルしかないからです。
 星さんは高台の海の見える場所にまで出向くと、映画のCGのように海がブワと膨れ、岸壁にあったすべてのものがものの数秒で呑まれ、星さんは、4隻の船、軽トラ、網、ブイ、海水ポンプ、フォークリフトを失うのです。総額で3000万円以上の損失。

 星さんが悩んだのは、当時58歳という年齢で、3000万円もの借金をしても再起はできないという思いと、「お前はまだやれる」という二つの思いの狭間で苦しんだことです。


●自分の海苔を作りたい

 その後、ミュージックセキュリティーズ社の「被災地応援ファンド」で再起したのは、既に書いたことなので、ここでは繰り返しませんが、一介の無名の一漁師に対して、多くの人が出資をしてくれたことに星さんは今も感謝の念を忘れません。しかも、このファンドでは、その半額は純粋な寄付だから、その思いはなおさらです。

 私が、星さんの潔さを感じたのは、以下の話を聞いた時です。

 東北の被災地では、実に数多くの事業者が被災しましたが、国が設立した「グループ補助事業制度」(同業者が集まって結成されたグループに対して、事業再興のための国が補助金を出す制度)でその多くが救われました。よく、ミュージックセキュリティーズ社のファンドがなくても、こちらを利用できたのではと尋ねられますが、私はグループ補助を利用する気はありませんでした。
 というのは、やはり米も海苔も無化学物質で育てたいからです。グループを作ると、自分のやり方を貫けなくなる」 

 つまり、星さんは、自分の海苔を作れないくらいなら、海から離れると決めていた。だからこそ、そういう海苔作りを再開できたことは本当によかったと思っています。

 取材の終わりに、私は星のり店の海苔製品を仕入れ、今、毎日我が家の食卓で口にしていますが、旨い。
 個人的には、唐辛子味の海苔はかつてない食感なだけに、また注文しようと考えております。

星のり店の海苔 ←星のり店の海苔商品。

 ミュージックセキュリティーズ社のファンドでは、星のり店は固定ファンをさらに600人増やしました。

 いい意味でのプレッシャーになっている、と星さんは語ります。支援してくれた人々のために、絶対に中途半端な海苔は作れないと。

 星のり店のHP(こちら)にアクセスしてみてください。通信販売も受け付けていますので。

 2月と3月には、子どもたちを対象とした、海苔作り体験教室があるそうです。
 我が家が行けるかは未定ですが、ともあれ、ファイト!星のり店! です。
 
 なお、星のり店については、月刊「望星」10月号(今月号)に掲載中です。注文はこちらでどうぞ。


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2014/09/27 00:37 東日本大震災 TB(0) コメント(0)
●復興予算は被災地でどう活用されないのか?

 復興予算を巡っては、被災地の外での関係のない事業への流用が盛んに報道されています。
 一方で、その逆の報道はあまりにも少ないです。

 すなわち、本来その予算があてがわれるべきなのに、不採択とされる被災地内での事業についてです。

 復興予算のなかに「グループ補助事業」(正式名称は「中小企業等復旧・復興支援補助」事業」と呼ばれる事業があります。

 これは、一つの共通の目的を持った事業者たちがある程度の数で集まってグループを作って、集団で復興予算に申請するというもの。

 これに申請して、「採択」されれば、必要な事業費の4分の3が補助されます。(事業費の2分の1が国から、4分の1が県から)
 つまり、返さなくてはならない「融資」とは違って支給されるわけなので、震災と津波で社屋や車両や機器類、さらにはスタッフまで失ってきた事業者にとってはどうしても欲しい予算です。

 しかし、報道によれば、被災地において、申請したグループのうちの6割以上もが不採択となっているのが現状です。
 
 もちろん、予算の枠があるので、申請グループのすべてが採択されるわけではないにしても、ここに理不尽な不
採択はないのだろうか?  と思ったのが、この問題に関心を向けるきっかけでした。


●公にされない不採択情報
 
 しかし、いったいどういう事業者グループが不採択となり、不採択の理由は何かということについては、自治体に尋ねても、商工会や商工会議所に訪ねても「個人情報に関わるので、一切お答えできない」というものでした。

 ところが不思議なことに、政府の出す「中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業について」というインターネットで公開されている資料には、復興予算に「採択」されたグループ名、その代表者名、属する自治体名、業種が明記されております。

 これまで第5次までの募集が行われ、青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉県において採択されたのは

 329グループの2,906億円(うち国費が1,937億円)
 
 ただ、この情報はありがたいものでした。その逆で探れば、不採択事業に行き当たると思ったからです。
 たとえば、A町で採択されたグループの業種が「建設業」であったなら、それ以外の業種のグループが不採択となった可能性があるわけで、そういう事業所にあてずっぽうで電話をしてみました。

 すると、何十件かに電話したところ、4グループから情報を得ることができました。
 自治体や商工会の「個人情報なので教えられない」とは対照的に、こちらの取材主旨を知ると「聞いてください」と堰を切ったように話し出す人もいました。

 じつはこのネタ、これから雑誌やテレビに売り込むので、具体的な地域名と事業社名はここでは伏せますが、聞けば聞くほどに、採択と不採択の境界線がわからなくなってきます。


●不採択の事例

★A町の理容業
 津波で商売道具がすべてだめになった。私はたまたま地震保険に入っていたので道具を新規調達できたが、他の理容仲間は県や国からの融資などを利用して新規調達したので、なかには2重ローンをかぶっている人もいる。
 町の理容業者10店舗以上でグループを作って「グループ補助事業」に申請したが、2回ほど不採択となった。
 70歳を過ぎた私が、申請に必要なあの膨大な書類を作成するだけでも大変なのに、それで不採択だとめげてくる。
 地域に密着してきたこの仕事はそれほど評価されないものなのだろうか。
 現在、規模を縮小して営業しているので、かつてのように従業員を常駐させるわけにも行かず、客がやってきたときだけ、近くに住む従業員を呼んでなんとかかんとかやっている。

★B市のプロパンガス業者
 市内10以上のプロパンガス業者でグループを作ったが、あまりもの膨大な申請書類にめげる人もいた。
 大きな会社組織なら、書類作成だけに打ち込める人材もいようが、個人事業者では自分でやるしかないのに、あまりにも書類作成に時間がかかる。
 私は、家を失い、車も流され、専務とパートさんも亡くし、倉庫も1階をだめにした。だが倉庫の2階を仮事務所にして、やっと車も購入して頑張っている。
 グループ申請にはこれまで何度も落ちた。
 私たちの仕事は、地域の人にエネルギーを届ける仕事。なぜこれが採択されないのかが分からない。
 仲間の多くが2重ローンを抱えている。
 これから第5次申請もあるので、そこに期待したい。

★C町の仮設商店街
 20以上の事業者でグループを作り、町の経済活性化の中心的な役割を果たす新しい商店街を目指している。
 だが、グループ補助には3次、4次と落ちた。申請額は億単位なので痛い。
 不採択の理由は、簡単に言えば、事業内容が浅いとのことだった。
 だが、グループ補助申請の条件の一つには、

「地域コミュニティに不可欠な商店街等」

 との項目があるのに、なぜ不採択となるのか?。

 書類は膨大。なかにはコンサルが請け負うところもあるが、それにも金がかかるので、うちは自前で申請する。
 5次応募にも申請する。
 会員は、多くが2重ローンを抱えている。


★D市の運送業者
 E市の本社と、ここD市の支社の二つとも被災した。60台あったトラックが48台流され、残ったのは12台。事務所も冠水した。
 グループ補助申請は、同じ運送業者や港湾関係者とグループを作って、3回申請して、3回不採択となった。

 ところが、不思議なことがある。

 E市の本社では、運送業者や関連業者が160者によるグループを作り、採択された。
 E市の港からの水産物を輸送するとの名目が認められたからだ。

 一方、こちらD市でもD港からの水産物などの輸送を担うとの名目で申請したのに不採択となった。

 同じ会社が属する、同じ業種で、同じ名目で、かたや採択で、かたや不採択。

 不採択の理由を県は名言はしないが、説明では「優先度の高いものから採択する」とのことだが、その優先度のガイドライン自体がない。

 港からの運送を担う、との事業目的が不採択になるなら、いったいどういう理由なら採択されるのか?
 輸送を担う90%はトラックだ。これなくして、どうやって運輸を行うのか?
 県の説明からは、「小企業が5つや10集まったって、どれほどの経済効果があるのか」とハナっから軽視しているニュアンスがある。
 だからこそ、160者があつまったE市でのグループ補助事業は採択されたのだ。
 被災地の中でも、小さい事業は軽視されている。それが実態だ。

 次の申請も出すが、どういう文言で書類を作成すべきか本当に悩んでいる。



●小さい事業こそを

 私も一番疑問に思ったのが、上記、赤いふと文字で書いた部分です。同じ会社の同じ事業で、大規模か小規模かで採択、不採択が分かれたのです。
 これは理不尽そのものです。

 被災地外での流用にしても、結局は、大事業や大手企業に予算が流れていますが、被災地の中でも同じことが起こっているのかもしれません。

 グループ補助に採択される条件は4つ
① 経済取引の広がりから、地域の基幹産業・クラスター
② 雇用・経済の規模の大きさから重要な企業群
③ 我が国経済のサプライチェーン上、重要な企業群
④ 地域コミュニティに不可欠な商店街等

 ②と③は明らかに大規模事業とわかりますが、①と④は中小零細企業だって対象にしているわけです。
 適正な運用を求めたいと思います。
 
 ただ、なんにせよ、まだわずか4例なので、もう少し調査を続けます。

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2012/11/13 02:08 東日本大震災 TB(0) コメント(0)
 数日前、宮城県七ヶ浜町の「星のり店」からお米とのりが届きました。
 いよいよ、事業を再稼動できたんだなと嬉しくなりました。

特典


 七ヶ浜町も昨年の大震災で甚大な被害を受けた土地です。海の近くにあった星のり店も、海苔棚、船、機械のほぼすべてが津波に持ち去られました。
 だが、それまでつきあいのあった地元の金融機関は星のり店を助けてくれませんでした。
 ここで支援の手を差し伸べたのが、ミュージックセキュリティーズ社の「被災地ファンド」です。

 このファンドについては、昨年5月23日と8月15日のブログに書いてあるので、そちらを読んでいただければと思います。

 簡単に言うなら、従来の金融機関に頼るのではなく「市民」に頼るファンドです。
 「株」は株式会社という組織への投資ですが、市民ファンドは、「匿名組合」という仕組みを使いますが、組織(会社でも個人でも個人事業でもいい)の「特定事業」への「期限限定」の投資のことです。

 これに投資して、もし投資を受けた組織が、その投資を元手に事業を興して事業が軌道に乗れば、出資者には「元本と分配金」が戻ってくる仕組みです。もちろん、その逆もあり、事業がうまくいかなければ、元本割れもありえます。

 今回の「被災地ファンド」は既に数十社に適用されているようですが、特徴は、出資金の半額は純粋な義捐金だということです。
 具体的には、一口1万円なら、そのうちの5000円は、自分の応援したい事業への「寄付」。もう半分の5000円がファンドの対象となり、近い将来、5000円+分配金が戻ってくるかもしれません。

 ミュージックセキュリティーズのファンドについては、同社のホームページを見ていただきたいですが、面白いのは、そういった分配金だけではなく、出資者には「特典」があることです。
 たとえば、音楽事業に出資した人には、その応援するアーティストのDVD、酒蔵に出資した人には「純米酒」、魚屋に出資した人には「魚の加工品」といった具合です。これは、分配金のあるなしに関わらず、出資者に送られてくるものです。

 そして、私は星のり店に一口出資していたのですが、先日、冒頭に書いたように、その特典である「無農薬米と海苔」が届いたのです。感想で言えば「ああ、よかった」です。再起されたことに。

 特典とともに、以下のメッセージが添えられていました。

 前略
「復興ファンド 星のり店」へ投資していただきありがとうございました。
 心の底からお礼申し上げます。
 ほんとに、ほんとにありがとうございました。津波で資材も船も無くし…あの日から無職無収入になり、毎日、毎日、当てもなく片付けばかりでした。
 同業の漁師も浜には来ません。「1人だけ」という日が何日も続きました。
「どうすっぺ。なじょしたらいいんだァ!」
 なんぼ考えても答えは出てきませんでした。
「もう年だがらヤメロー! 会社員だったら退職金もらう頃だがら、やめだって恥ずかしくもねぇ~よ。いい区切りだぞ!」
「今まで頑張ってきたのが、みなパァ~になるぞ。諦めるのは簡単だ。でもここでやめて悔いが残るべや。やっと”味乗せ”ができるようになったのに…」
 心の内で「二人の自分」が葛藤する日々で、結論が出ないだけに余計苦しみました。風呂にも入れず、ウンコは畑に穴掘って…。でも、私どもは恵まれたほうです。
 津波から2週間で電気、水道が来て、メールや励ましのメッセージが届き、嬉しかったです。涙が濡れて濡れてメールが読めませんでした。
「嬉しい、ほんとうに嬉しいね。お父さん! お客さん、みんなが…」
 涙と鼻水の洪水。嬉しい鼻水でした。
 気持ちは立ち直ったものの、肝心の「お金」が無くては…。
 気持ちだけでは養殖はできません。
 そんなときに「復興ファンド」に出会いました。「復興ファンド」がなければ、今年の海苔養殖はなかったと思います。
 4分の1程度の規模ですが、来年への希望となりました。
 宮城のノリ屋は、震災前は180台の「のり乾燥機」、200人の「従事者」、生産量「6億枚」でした。
 今は「10台の乾燥機」、「20人の従事者」になりました。国の支援で来年は多くのノリ屋が戻ってくると思われます。
 早く「水産、宮城」と、また呼ばれるよう頑張るだけです。

 最後になりますが、リスクの大きい「のり養殖」、そしてどこの浜にもいる「1人の漁師」に投資していただきありがとうございました。

 

●市民出資だからこそ「すぐに確実に」役にたつ

 私はミュージックセキュリティーズという会社が、もしくは、社長の小松真実さんがもっとおおきくメディアで取り上げられるべきだと思っています。それは、小松さんが「匿名組合」という手法を用いて、従来の金融機関が相手にしようとしない人たちや事業に対して、確実な、かつ、すぐに役にたつ支援方法を多方面で広げているからです。
 是非、詳しいことは同社のHPをご覧ください。

 それにしても「星のり店」の事業再開は、出資者の1人としては嬉しいものです。おそらく、私だけではなく他の出資者も同じ思いだと思いますが、「元本割れしても気になりません」。5000円の出資金がたとえば4000円とか3000円と減額されて返ってきたとしても、それは、1000円や2000円の寄付で役にたったのだと考えればいいだけのことだからです。

礼状


 リターンのあるなしは二の次です。とはいえ、ミュージックセキュリティーズが今まで手がけてきたファンドは、おそらく、ほぼ100%の確率で分配金が出ています。

 もしかしたら、ちょっとでも儲かって、なおかつ、社会的な事業のお役に立ちたいとの1石2鳥を考えている人は、是非ご検討ください。

 ともあれ、明日あたり、星のり店の海苔をいただこうと思います。


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2012/04/05 01:05 東日本大震災 TB(2) コメント(0)
●木材住宅は弱い?

 首都圏で3年以内に大震災が70%の確率で起こると報じられてから、にわかに、その被害シミュレーションなどがマスコミを賑わしています。

 そこで必ず強調されるのが、「密集した木造住宅が危ない」ということです。

 確かに、火災には弱いかと思います。だが、地震にも弱いのか? これには私は異論があります。

 というのは、1995年の阪神大震災において倒れなかった木造住宅もあったからです。


●170軒建てて倒れたのは1軒だけ

 このことで思い起こされるのは、神戸市東灘区の棟梁、天王寺谷巳之助(てんのうじや・みのすけ)さんです。

 私が天王寺谷さんと会ったのは震災から2年経った1997年の1月だったと記憶していますが、住所を頼りにご自宅を訪ねてびっくりしました。
 震災当日、阪神高速道路が倒壊したのは大きなニュースになりましたが、棟梁のご自宅である木造住宅はその道路沿いにあったのに、ヒビ一本ない状態で建っていたからです。

棟梁自宅←写真手前が棟梁宅。右に見えるのが倒壊した阪神高速道路。
 
 棟梁は当時86歳で、体力の衰えから、それ以前に大工を引退していました。棟梁としての現役中は神戸に170軒の家を建てていました。

 私が驚いたのは、その170軒の木造住宅のうち、大震災で倒壊したのはわずかに1軒だけだったということです。しかも、その1軒にしても、専門外である軽量鉄骨での構造部分だけを外注した2階建てアパート。

 つまり、170軒のうち100%自身が手がけた木造住宅169軒は無事で、その部分だけは手がけなかった、丈夫と言われていた鉄骨を使った住宅が倒壊したということです。

 私と会った当時、棟梁は言葉もややたどたどしくなっていましたが、それでも、自分が作った住宅すべてが無事だったことを話す時は、本当に嬉しそうに「大工冥利に尽きますわ!」と声を出していました。

図面←手がけた家の図面を大切にしていた天王寺谷棟梁


●普通の工事だった

 そこで私は棟梁に尋ねたのです。

「何か特別な工法を採用していたのですか?」

 棟梁は即答しました。

「してまへん。昔、師匠に教わった通りに、柱を基礎に固定し、通し柱を多く入れて、筋交いをしっかり作っただけです」

 つまり、棟梁はあくまでも普通の家を作っただけなのです。


●なぜ、阪神大震災の神戸では多くの木造住宅が倒壊したのか?

 財団法人・日本住宅・木材技術センターによる震災後の調査はこう結論付けています。

 倒壊した住宅の共通点は

・壁の少なさ
・基礎のない柱
・いいかげんな筋交い
 
 が多かった。

 つまり、「普通の家作り」をしなくなった大工が相当数いたということです。つまり、阪神大震災では死者の8割前後が住宅の倒壊による圧死だったと伝えられていますが、もし「普通の家」に住んでいれば、多くの方が死を免れたはずです。

 私が棟梁に会うきっかけになったのは、同じ東灘区に、友人の永田健一さんのお父さんが住んでいたのですが、そのお父さんのご自宅が倒壊したことで、健一さんが、「すぐ近所に倒壊しなかった木造住宅がいくつもある。どうも同じ大工が建てたらしい」と教えてくれたからです。

 そして健一さんのお父さんは、こう言いました。

「あの天王寺谷のオヤジは嫌われとったでえ。何せ、施主の注文を絶対に受けつけんかったからの。全部自分の思い通りに家建てよった。『もっと間取りを広く』という注文にも、『そんな作りじや家がもちまへん。それで建てるなら、この仕事なかったことにしてもらいます』と答えて、道具箱をしまって帰ろうとしたことも多かった。だが、今回の地震を境にあのオヤジへの評価は180度変わった」

 そして、健一さんのお父さんの家を建てた大工は?

「ワシんとこの大工はあちこちで手抜き工事ばかりしよったらしい。その大工、今回の地震で自分の家で圧死しよったよ」

 ちなみに、天王寺谷棟梁はご自宅を3ヶ月かけて自分で作ったとのこと。私が訪問したときは築30年でした。


●アリの被害は防げる

 さて、上記のことから、木造住宅はいい大工さえ選べば決して危ないものではないことが分かります。
 ただ、木造ゆえの欠点はもちろんあります。
 
 現在、大阪市立大学大学院生活科学研究科・生活科学部准教授の土井正氏が阪神大震災直後に、同じ東灘区東部地域の木造家屋709戸を調査したところ、シロアリの被害による腐朽も家屋の強度に大きく関わっていたと結論付けています。

 土井氏は、そのことを「頑丈で長持ちする住まいの耐震診断チェックブック」(発行:木構造住宅研究所)のなかでこう述べています。

「(シロアリの)栄養源は木材そのものであるし、制御は困難である。しかしながら、木材中の水分については制御可能であり、乾燥した木材を使用し、断熱材の適正な配置により壁体内での結露の発生を抑えたり、防水や断湿が適切であれば繊維飽和点以上に含水せず腐朽や蟻害を防ぐことが可能である(中略)。維持管理の努力なくして、住宅性能は維持できるものではないことを忘れてはいけない。結局、今回の震災では住まうということの哲学が要求されているように思えてならない」


●棟梁の建てた家を訪問

 私は棟梁にお礼を言ったあと、教えてもらった、棟梁が建てた家を訪問しました。そこも阪神高速道路から数十メートルの位置です。

 そのFさん宅でチャイムを鳴らし、事情を説明すると、奥さんが「それはそれは。せっかくですから上がって下さい」と家に上げてもらいました。
 そこには極めて普通の家がありました。ヒビ一本ありません。奥さんはこう説明してくれました。

「ええ、ウチは全て棟梁にお任せしました。お陰で、アルミサッシに少しガタがきただけです」

 そして印象的だったのが、Fさん宅の周りが空き地だったこと。Fさん宅を除いてすべて全壊してしまったのです。

F宅←手前の空き地には震災まで家があった。建っているのがFさん宅


 これら事実を思い出すに連れ、今、マスコミが言うような、木造住宅そのものが危ないのではなく

・いい大工に家を建ててもらうこと  と
・加えて、定期的に住宅を維持管理する  ことが求められている…と思います。


コウアン先生の人を殺さない住宅―阪神大震災「169勝1敗」の棟梁に学べコウアン先生の人を殺さない住宅―阪神大震災「169勝1敗」の棟梁に学べ
(1996/06)
中村 幸安

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阪神大震災での倒壊事例で、木造住宅は弱い、と言われた。だが、本書では、むしろその逆の事例を取り上げている。木造住宅だからこそ、あの大震災でも倒壊しなかった住宅を手がけた棟梁を紹介しているのだ。それは特別な工事ではなかった。昔ながらの教えを守った工事をしていたからこそ、棟梁の建てた住宅170軒のうち倒壊したのは1軒だけという驚異的な事実が残った。つまり、現在では、手抜き工事をする工務店や大工がいかに多いかを本書は示している。いい家を作りたい人への指南本でもある。



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2012/03/18 17:35 東日本大震災 TB(1) コメント(0)
●違和感

 3月11日。あの日から一年です。

 私は東京都の日比谷公園で行われたピースオンアースを見に行きました。
 
 脱原発のことをブログに書いたことで一躍注目を浴びた15歳のアイドル・藤波心さん、14時46分の黙祷への発声はCWニコルさん、その後の、音楽家の坂本龍一さん、後藤正文さん、映画監督の岩井俊二さんのトークセッションもありで、多くの方が震災、津波、原発問題に関心を寄せていることが実感できました。

 ただ、一つだけ違和感を覚えました。正直に書けば、この関心がいつまで続くのだろうかという思いです。おそらく、原発や放射能に関してはこの先ずっと関心が続くと思われます。しかしながら、地震や津波への被災者への関心は続くのか?

 ピースオンアースではいくつかのNPOがステージで発言をしていました。

 私が覚えた違和感は、誰も神戸のことを言及していなかったことです。もちろん、それらNPOが神戸と何の関係もないのなら、別に言及していなくてもいいのです。

 だが違う。なかには、17年前の1995年、あの阪神大震災の直後から神戸やその周辺地域に入り、熱心にボランティア活動をしていた団体もいました。そのとき、多くの団体がこう言ったのです。

「この惨状を忘れてはならない。これを忘れて、復興も平和もない。今、日本人が問われている」

 そして3月11日のイベントでも、あるNPOはこう言いました。

「東北で起こったことを決して忘れてはならない。ボランティアだからこそまだまだできることはある」

 ちょっと待て。あなたたち、同じようなことを17年前にも言っているよ。そして、神戸のことはどうしたの?

 私がこう書くのは、神戸では今も復興住宅で高齢者が孤独死しているからです。

 避難所から仮設、仮設から復興住宅へと住環境がまともになるほどに、高齢者は孤独の度合いを深め、誰と話をするわけでもなく、寂しさのなかに身を沈めて誰に見取られることもなく命を落としています。

 じつは、それは今の東北の仮設住宅でもすでに起こっていることですが、その東北の仮設住宅では、「高齢者を孤独死させるな」といろいろなNPOが活動しているのに、同じ震災の被災者である神戸の復興住宅に住む高齢者にはほとんど誰も目を向けません。


●よろず相談室の粘り

 私が尊敬する神戸のNPOに「よろず相談室」という組織があります。これは95年の震災直後から、被災者が何を欲しているか、何が必要なのか、何を悩んでいるかを聞き取るために発足した団体で、定時制高校の教員の牧秀一さんが代表を務めていました(今はNPO法人になったので理事長)。

 だが、この活動は終わりません。1年経っても5年経っても、逆に被災者からの、特に高齢者からの悩みは増すばかりです。
 2005年だったと記憶していますが、私はよろず相談室に同行して復興住宅を回ったことがあります。
 このとき牧さんに尋ねたのは「いつまで活動を続けるのか?」ということでした。

 牧さんは「止めたいと思うときがある」と答えました。

 それは、一つには、この活動を続ける限り、土日が外せない活動日になるので、体を休める休日がなくなること。そして、知り合った高齢者が次々となくなっていく辛さです。

「でも止めるわけにはいかない」

 のです。

 
●15年も経って浮上した問題 --震災障害者ーー

 神戸の問題は終わったのか? 
 答えは否です。

 2010年、兵庫県と神戸市は「震災障害者」の実態調査に乗り出しました。
 95年1月17日の震災で重症を追い、そのまま障害者となった「震災障害者」は数多くいました。だが、これらの人たちは、行政からの支援が一切なかったのです。私も知りませんでした。
 それが牧さんたちの運動で、ようやく、震災から15年経っての実態調査に至ったのです。
 
 その結果328人が炙りだされました。ただし、牧さんたちは、もっと多いはず。2500人はいると見ています。


●神戸で今も続く孤独死

 また、神戸では今も復興住宅で孤独死や自殺が続き、2010年にはその数560人にとなりました。

 よろず相談室のHPにはこう書いています。


「 2010年現在の復興住宅(3棟)の死亡者状況は、

・A号棟 64世帯中30人
・B号棟 99世帯中23人
・C号棟 48世帯中18人 です。凄まじい状況が復興住宅を覆っています。建物の立派さ・賑わいと反比例する人々の孤独・不安の深さが復興住宅の現実なのです。

 (復興住宅で暮らす一人暮らしの高齢者約1万人のなかで)私たちが関わっているのは全体の1%未満でしかありません。それでも、数人のボランティアで月に2度の訪問活動では関わっている人全員を訪問するのに3ヶ月かかります。もっと頻繁に回る必要がありますが、原状では限界があります。

 先日、ボランティアの高校生が文通相手の高齢者を訪ねたとき、「帰らんといて!」と手を取り泣かれました。いったい、どれほどの人たちが深まる孤独と不安・恐怖に耐え忍び、今日を生きているのでしょうか。」


 圧倒的に足りないボランティア。だが東北にばかりに目が向けられるこの現状…。
 神戸は忘れられたのでしょうか。


●神戸を教訓にしてこそ東北への支援は生きる

 神戸では震災障害者の実態調査に至るだけでも15年もかかりました。
 そして、東日本大震災でも当然のごとく、震災で障害を負った方は数多くいるはずです。これらの人たちを15年も待たせるわけにはいきません。
 神戸の事例を元に、東北で活動するNPOはこの調査と支援を行政に訴えるべきです。

 ピースオンアースで発言をし、神戸で活動していたNPOは、果たして神戸を忘れたのか?
 なぜ活動を止めたのか? 17年後も、本当に東北のことに関わっているのか?

 神戸で出会った孤独な高齢者たちの姿を思い出すたびに、私はそれをNPOに問いたい気持ちに駆られます。

 間違いなく言えるのは、仮設住宅には当たりはずれがあって、街への交通の便がよく、自治会もしっかりしている「当たり」の仮設では長屋的な付き合いは期待できます。だがそうでないところでは、今から孤独死は起こります。

 いずれにせよ、今後、復興住宅へと進むと、一人暮らしの高齢者は間違いなく孤独に陥ります。それは何十年と続きます。それでもNPOは関わり続けるのか? 関わって欲しいと私は思います。そのための哲学をもってほしい。「自分たちはこれをやるのだ」と。

 神戸では震災直後から述べ100万人以上ものボランティアが活動を展開していました。マスコミは1995年をボランティア元年と呼びましたが、私はまったくそうは思いません。

 なぜなら、100万人以上のボランティアの多くは、「緊急援助」だけを経験して神戸を離れたからです。
 緊急援助のあとには、街の復興、人の生活の建て直しが始まります。じつは、ここからがボランティアの本番でもあるのです。
 若者たちの多くはその経験をしないで神戸を離れた。とてももったいないことだと思います。

 今、東北では膨大なガレキやヘドロがまだ残っているので、もしかしたら、その撤去で緊急支援で入るボランティアもまだ多いかと思いますが、緊急以後どうなるのか? 

 緊急援助だけがボランティアではない。人と真摯に向き合うことこそボランティアの根幹だ。

 そのことだけは主張したいです。


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2012/03/13 13:43 東日本大震災 TB(1) コメント(0)
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